築城当初から天守台はありましたが天守は建設されませんでした。次に予定していた名古屋城の普請に篠山城に関わった大名のほとんどを移動させた為と言われています。本丸と二の丸を内堀で囲み、外側を三の丸、その外側を外堀で囲む正方形の城でした。外堀の幅は約45m。外堀の外側に設けられた3つの馬出は現存する唯一の土塁で出来た馬出です。篠山城は大坂包囲網の一つと言える城でした。明智光秀が丹波攻略したの頃の中心地はハ上城だったので松平康重もハ上城に入りましたが篠山城完成後、ハ上城は廃城となっています。石垣には諸大名の刻印が刻まれています。