1611年に2代目津軽信枚により


堀越城や大浦城の木材を転用して


弘前城の前身である鷹岡城の


5層6階の天守が築城されました


しかし落雷により内部にあった


火薬に引火して大爆発しと焼失‼️


1628年鷹岡を弘前に改称し


弘前城となりますが天守のない城でした


それから約200年後、9代藩主津軽寧親が


幕府に三階櫓の新築を許可され


現在の御三階櫓(天守)が建てられました


ただ天守の石垣の膨らみなどがあり


御金蔵跡の辺りに移動しています。