御薬園1384年頃に朝日保方と言う老人がこの地にあった薬泉を用いて疫病にかかった農民を助けましたこの薬泉は「鶴ヶ清水」と名付けられ老人を祀る「朝日神社」が建てられました会津松平家三代藩主松平正容は朝鮮人参を植え、民間にも奨励した事から「御薬園」の名前で呼ばれるようになりました松平容保一家も1883年に東京から移り住み数年間を過ごしたようです