1589年伊達政宗は豊臣秀吉の制止を


無視して蘆名義広を攻めて滅ぼし


黒川城(後の若松城)を手にしますが


秀吉から会津を出ないと奥州に


攻め込むと言われ会津を召し上げられます


1384年に東黒川館を作った蘆名直盛は


三浦半島の豪族の佐原義連の子孫で


源頼朝から会津の領地を与えられた


人でした。横須賀市には「芦名」や


「佐原」と言う地名があるので


この辺りの豪族だったのかもしれません


伊達政宗の後に入って来たのが


蒲生氏郷で城下の町の黒川を若松に改め


1593年望楼型7重の天守を竣工し


「鶴ヶ城」に変わりました。


氏郷の幼名が「鶴千代」だったとか


家紋に鶴が描かれていたとか


諸説あるようです。


7重は5階と地下2階なのか


7重あったのかはわからないようです