「ポピュリズム(大衆迎合主義)発生の原因とその克服について」―3 | ueno63jのブログ

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この二つは互いに相関関係にある。19世紀以降特に西洋社会において自然科学分野の発見や発明が飛躍的に進展し、それに伴ってそれらの発見や発明に基づいた技術が社会に導入されることで、現代の高度に発達した文明社会が形作られた。さらにそのような文明社会の基盤を支える不可欠の要素として、それまでの社会において成されて来たものとは次元の異なる高度で緻密な教育がほぼ全ての「文明先進国」で義務化された。高度に発展した科学技術を背景に社会が近代化され洗練され文明化され、その社会の力を生み出すべき人材の育成と文明社会の技術力の応用とを兼ねた場として、教育環境が飛躍的に整えられたのである。やがてこれらの西洋型文明社会が「近代化」という名目の下、あるいは植民地戦争の形であるいは平和的文化交流の形で、非西洋圏にまで拡がって行った。

ところで、先述したように、この二つの重要なファクターこそが、それまでは単なる社会の一構成要素に過ぎなかった「民衆」を、現代の社会や文化、政治、経済全ての主人である「大衆」に育て上げた主要因なのだ。

それはどういうことか。以下にそれを述べる。

当然ではあるが、高度な科学技術の発展と高水準な一般教育の普遍化とは、当初から「大衆」という抽象的なバケモノを作るために意図されていたものでは決してない。当初は皆がこの二つの要素に近代化の夢を乗せ、それと同時に理想世界の夢を描き、それを可能にする力強くて創意に満ちた「理想人」を思い描いていたのである。

ではどこでこの青写真が狂ってしまったのか。実はこの青写真はそもそもの初めから非常に重要な点に極めて重大な不安材料を抱えていた。にもかかわらず当時(19世紀)の人々は見かけの華やかな理想像にばかり目を奪われて、この重大な内的不安材料をほとんど全く顧みなかったのである。

もちろんこの不安材料に早くから気づいていた人もいるにはいた。その代表が(その志向した方向は正反対ではあったが)キェルケゴールとマルクスである。キェルケゴールとマルクス ― この、自分の生まれた時代をはるかに超越し、次世紀(20世紀)の思想界に決定的な影響を残した先駆者が、ともに1813年生まれであったということは象徴的である。

それはともあれ、彼ら二人に共通していたのは、この一見近代化に向けて力強く前進しているかに見える社会のダイナミズムに根本的に欠けているものを見出していた点である。それは「価値観」である。何をもって社会の核とするか、人間社会の全ての動静の中心にあって、その一つ一つの動静の是か非かを何に基づいて決めるのか…

18世紀まではその価値基準こそが神でありキリスト教だった。しかし18世紀全体に渡って猛威を振るった啓蒙思想という思考上の革命が「理性」という旗印の下、目に見えない価値や規範、不合理なもの一切を「迷信」や「たわごと」として全否定し去って以来、西洋社会には価値の基準が無くなってしまったのである。もちろん社会の大多数を占める民衆は依然として敬虔な生活を送っていただろうが、そのようなことは社会全体の今後の動向を左右する要因にはなり得ない。社会をリードする主導層(特に知識人)の間でもはや「神」が絶対ではなくなったということ、そのことこそが重要なのである。キェルケゴールとマルクスはものすごい勢いで前進し始めようとしている社会のダイナミズムの裏に潜むこの致命的な欠陥を見抜き、啓蒙思想によって失われた従来の神に代わる代案を立てようとしたのである。

ところが19世紀を通じてこの「新しい価値観」の模索のために互いに異なる価値観を突き合わせたり価値観の統一のために一致点を探る、といった会議や会合(かつてのキリスト教内における公会議のように)が国際規模いや、少なくとも全ヨーロッパ単位で行われたことがあったかというと、ついに一度もそのようなことは無かった。結局マルクスの弟子たちは彼らきりで、キェルケゴールの後継者たちもまた彼らきりで、その他のグループはその他の各グループごとに、それぞれ神がいるだのいないだの、何が価値の中心だのそうではないだの互いに好き勝手を言い放題に言い放つ混乱し錯綜した様相だけを提示して来たのである。

科学に邁進する人々や、技術を応用し駆使する実業家たちは自分たちの明確な目的意識に比べてあいまいで実りの無い空論を振り回すこれら人文科学系の知識人を馬鹿にし始め、果ては「人文科学」自体を軽視するようになって行った。そんな中、結局教育は「食える仕事」につくための方便になった。それはすなわち人間自体の養育の場というよりは就職により有利な知識習得の場となって行ったということである。そもそもこのような風潮を生み出した当のヨーロッパはもちろん、その影響下にありながらも一層強力に「実利性」を求めたアメリカ(プラグマティズムの教育への応用などは、まさにそのことを反映した事例である)、さらにはそのアメリカの影響をもろに受けた今日の日本や韓国、その他のアジア諸国の教育方法など、この傾向は今や全世界に「主流」として拡がってしまっている。