「ポピュリズム(大衆迎合主義)発生の原因とその克服について」―2 | ueno63jのブログ

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  それでもこの大衆を指導するリーダーたち(国家元首や官僚、財界人、知識人など)が、健全な倫理観や判断力を持ち合わせているならばそれなりに社会を良い方向に持って行くことが出来たが、しかしこのような幸運もしょせんは絶対的統一的価値観を欠いた抽象的社会における一時的で相対的なものに過ぎず、後任者がそれとは異なる価値観を示せば社会の動向もそれに従って変化せざるを得ないという事態に陥ったのである。

 ところでこのような不安定な時代をさらに後戻り出来ないものにした要因は次の三点である。

 

 1.今や社会の主人であることを信じて疑わなくなった大衆の、「大衆性」の増長

 

2.大衆に高度な知識を提供する一般義務教育と高等教育の大衆化

 

3.本来大衆に福利厚生や生活の利便を提供すべき科学技術の独走

 

はるか1930年代に1項についてはスペインの哲学者ホセ・オルテガ・イ・ガセットが『大衆の反逆』(La rebelión de las masas1930)で、2項と3項についてはオランダの歴史家、文化哲学者ヨハン・ハウジンガが『あしたの影の中で』(In de schaduwen van morgen1935)始め複数のエッセイの中で、それぞれ解明しているが、彼らの指摘したこれらの問題の核心を以下に簡単に述べてみたい。

まずは1項である。ホセ・オルテガ・イ・ガセット(以下「オルテガ」と略称する)によれば、大衆の大衆たるゆえんは惰性で生きていること、ありのままでいること、― つまり「努力をしないこと」にある。今や社会の主人公になった大衆は、その座に安座して動こうともしなければさらにより良い自分を目指そうともしない(ここで言っている「より良い自分を目指す」ということが、単にエステに通って美しさを保つ努力をする、といったたぐいの、個人的な趣味的努力の範囲を指していないことは承知していただけるだろう)。そして自分のその立場を少しでも不便で不自由なものにしかねないものに対して無条件に反抗し、取り除こうとするのである。そして今まで一部の特権階級にだけ享受されて来たさまざまな特典を享受するのがあたかも当たり前の「権利」であるかのように思い込み、それらの特典を使うに足るだけの「資格」を問われることも自分から追求しようとも思わないのである。つまりオルテガの言う「甘えん坊」「相続人」(ドラ息子)である。先祖や親が苦労して作り上げた実績を、その子供であるという最低限の資格以外に何も努力せず受け取ったあげく、その受け取った王国や政権、大店や文化遺産の本当の価値も知らずに食いつぶし滅亡させた例は、古今東西を問わず歴史を振り返れば枚挙にいとまが無いのは周知の事実である。

オルテガの言う大衆とはこのような存在である。本来は身分の平等化と個人の権利の自由化によって理想を実現すると考えられた民主社会が、いったいどうしてこのような大衆を生み出しあるいは社会の大衆化を進めてしまったのだろうか。

その原因として考えられるものは二つある。皮肉にもこの二つは、社会の民主化と個人の権利の自由化に伴って理想世界実現に向けて不可欠だと思われた要素だった。それこそが、ヨハン・ハウジンガが指摘した「一般国民教育」の大衆化と「高度に発展した科学技術」の独走、つまり前述した2項と3項である。