「ポピュリズム(大衆迎合主義)発生の原因とその克服について」―序(4) | ueno63jのブログ

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ポピュリズムが発言権を持ち、国を左右する中にあってアメリカでトランプ政権が発足しイギリスがEUを脱退するという事態を迎え、アジアにおいても各国が自国の歴史や価値観にのみ縛られて右傾化または内向き政策を模索している今日にあって、ヨーロッパまでポピュリズムに席巻されてしまったら世界はどうなってしまうだろう? 今後のフランス大統領選挙とドイツの連邦議会選挙に注目したい。

ところでアジアの動静に一言触れたついでにちょっと言わせていただこう。

昨日(44日)ニュースで報道されていたが、安倍政権はついに「教育勅語」を再評価し、学校の教材として使用するに問題無し、との判断を下したとのことである。倫理道徳上正しい価値観が盛り込まれているからだそうだ。この点に触れて稲田防衛大臣は国会答弁において「私は教育勅語が全面的に間違っているとは思わない」という旨のことを語っていた。 

なるほど「親に孝行」だとか「夫婦相和し…」などは、それが著しく損なわれている昨今の日本の状態を見ると一見説得力のある意見に見える。しかし「教育勅語」そのものが近・現代の日本史やアジア関係史においてどういう意味を持っていたか彼らは解っているのだろうか? 教育勅語の第一の目的は親に孝行でも夫婦相和し云々でもない。第一の目的は「君に忠」であり、アジア関係史においては日本語使用と共に強要された(唱和しなければ殴られたのだから強要だろう?)「侵略」の象徴そのものだったのである!

ただでさえ中国、韓国(北朝鮮は言うに及ばず)との関係がスムーズに行っていないこの時期に「教育勅語」を再評価して学校教材に採択するということがどういう行動であるか、本当に日本の政府役人たちには解っているのか? この行為が公然と日本の過去を「あって当然のことだった」として称揚し、言い換えるなら中国や韓国に公然と「日本側から」ケンカを売る行為であるということが?

歴史を世界史的視野から捉え、しっかりその動静を分析し、現在や、さらに未来までを見据えてしかるべき態度を取ることが大切だ。「過去―現在―未来」を有機的な一つの流れとして捉えて現在の自分たちの立ち位置を的確に把握し、未来に示すべき方向を模索するための資料としてこそ「歴史」は我々の前にあるということを忘れてはいけない。

歴史は過去形で語られるべきものではない。歴史こそ現在形、ひいては未来形で語られなければならないものなのだ。

今回の教育勅語再評価の事例は、こういうことすら解っていない視野の狭い、分析力の無い、「頭の悪い」者どもが一国の政治の舵を取るとどういうことを言い出すかの良い例である(もっとも野党勢力もそれ以上の愚か者がそろっているようだが)。まったくもって開いた口がふさがらない。

「親に孝行」「夫婦相和し…」を倫理として復活させたいのなら、過去のカビの生えていそうな古い資料などをただ単にひっくり返していないで、それらだけが盛り込まれた新しい教育指針を新たに作ればいい。そのために教育学者や倫理学者といった「知識人」がいるのではないのか? これらの文言が入っているという理由だけで、なぜ今さら「教育勅語」なのか? 教育勅語の「勅」がどういう意味か知っているのか? 筆者が思うに、これは国民の倫理意識向上のためではなく、少なくとも全日本国民を(或いは行く行くはアジア全民族を)「君に忠」なる国民に養成したいからではないのだろうか? こんなのは「民主主義」ではない。立派な「君主主義」である!

 

とにかくこのように目先の感情や価値観に囚われて愚かな行動を繰り返す頭の悪い連中が、世界をわけの解らない方向へ向けようとしている昨今、最も急を要する課題が何かをこれから考えて行きたい。