すでにご存知の通り

私は野草が大好きなのだ。

今、和ハーブについて勉強している。


3月に検定試験を控えている。


2009年に新規就農を目指してから

その後その夢を諦めるのだが


現在に至るまで

なんやかんや植物と向き合っていた。

なぜ、農作物から野草に転じたのか

を思い返すと

地元の自然を知るきっかけに

出会ったからだった。


私が育った故郷は

まあまあ田舎で

有名な歴史的建造物も

大きなアミューズメントもない。

観光地としてはかなり弱い土地柄だ。

ずっと何もない土地だと思っていたんだが

地元の自然を知るにつれ

なんでもあるじゃん!と

その素晴らしさを再認識し

魅了されてしまった。


故郷を自然環境から知る

ワークショップに参加し

そのワークを企画した会社を知り

世の中にこんな職業があるのか!

私もそんな仕事がしたい!

と思って通信制の大学に行き

同業の会社に転職して

日本各地の自然を

見てまわる機会に恵まれた。


けれど、

私の力不足はどこにいっても感じていて

挫折しては、背を向けて

形を変えて

また植物に触れて…

の繰り返しだった。

絶えず出来ない自分を責めていたから

植物に背を向けてばかりの日々かと

思っていたんだけど

ずっと植物と向き合っていたことに

気がついた。

何事も続ける事が

できない自分だと思っていたが

唯一、続いている事だった。


通信制の大学の入学時に

学部の先生が開口一番

「まるで遊んでいるかのように

努力してください」

とおっしゃっていた。

私はそれまで

努力とは、

将来を見越して

これをやれば安泰だから

やりたくないけど

安泰が見込める何かを

眉間に皺を寄せて

黙々とやる事が

努力だと思っていた。

大学の先生のその言葉は

私が努力の意味を履き違えていた事を

教えてくれた。


昭和という時代はきっと

将来安泰だから、

転職に有利だから、

儲かるから、

と言った理由で

やりたくないけど努力する事が

正解だったように思う。

社会からも

それを求められていたような気もする。

私も父から

「世の中に、好きな事で生きていけるのは

ほんの一握りの人だけだから、

何も続かないお前には無理だ」と

はっきり言われた事がある。

その言葉はかなり長い間、

私にかけられた呪いだった。

ひょっとしたら父も

自分に制限をかけていたのかもしれない。


けれど、令和の今

世の中は「好きな事をやれ」と

言われる機会が多くなったと思う。

「やりたくないことを

やって生きていけるほど

世の中は甘くない」

というコピーをどこかで見た。

「私の好きは何か?」

「やりたい事がわからない」

と悩む人もいるかと思う。

けど、けれども、

やりたく無いことをするんじゃなくて、

やりたい事をやればいいと

言われる時代になった事は

やっぱり喜ばしい事だと

感じざるおえない。


植物の見た目と名前が

全くわからなかった頃に比べて

テキストの内容が

理解できるまでになっている今、

したつもりのない

努力の賜物だと実感している。

ただただ好奇心に従って

生きてきただけだ。

静かに振り返ると

自分が成長している事に気付く。

この検定は

将来の安泰のためではなく

自己の好奇心に従った

知識の探求なのだ。


自分探し

大いに結構!

バンジーして不時着

大いに結構!

年齢なんか関係ないよ。

恐怖を乗り越えて

最初の一歩を踏み出したら

チャレンジがとても楽しいものだと

知ることになるよ。

とあの頃の自分に投げた言葉。