今日の"なつぞら"は北海道十勝の大自然と、当時そこに開拓団として入植した おじいちゃんの歴史が語られていました。



北海道に入植した方々は全国からいらした様ですが、おじいちゃんは富山からでした。



私の父は四国 愛媛県で生まれ、

大阪〜東京と食堂を営みながら 戦時中に東京から疎開の形で北海道・東川村に家族全員で来た様です。


その時に東京を離れていなかったら、恐らく東京大空襲で一家全員 この世から居なくなっていたかもしれません。

私が今 ここに生きて存在している事も



お昼に放映されている倉本聰さん脚本の"やすらぎの刻〜道"はちょうど今、東京大空襲で東京が焼け野原になった頃を放映していて

公一兄さんの言葉が頭にこびり付きました。

『中には何の恨みもないのに、どうしてこんな事せんにゃいかんのだろうと、泣きながら爆弾を落としていったかもしれん。』



明治の後半から昭和の半ばまでに生まれた方々は、大変な時代を生きて、生き抜いて来たのだろうと 胸が熱くなる思いで観ています。



どんなに苦しい状況であっても、

命が在るということは 救われている事だと思うし、

乗り越えるだけの力が在るから生かされているって事だと思うのです。



"なつぞら"の主人公 奥原なつは、9歳の時に柴田家に戦争孤児として預けられます。

ドラマが始まった頃は 毎回泣いてばかりでした。

9歳で独りぽっちになったなっちゃん。

『私をここで働かせてください』って言うの。



9歳って

私も9歳の時に母が他界して兄や姉に育てて貰いました。

そしてなっちゃん同様、周りの人達や学校の先生には凄くお世話になりました。 

両親の居ない私に兄やお母さんの様に接してくれたんです。

だから私の小学生の時の夢は学校の先生か看護婦さんになる事だったの。


父は母が居ない寂しさ悲しさに我慢出来なかったのでしょうね。

間も無く茶飲み友達の女性と一緒に行方知らずになりましたが、ある時その女性と一緒に帰って来て

私が高校生の時でした。


その女性の人となりを観じたんです。

そして 汚い!許せない!と罵声を吐いたんです。


すると父はデレッキ(薪ストーブの火搔き棒)を持ち上げて、私を叩いたの。

それ以来私は 父が大好きでありながら大嫌いになったの。。。



今日、"なつぞら"を観てて、自分の過去に想いを馳せた時 父の事を思い出して涙が溢れました。


亡くなる少し前に家族で逢いに行った時、認知症で判らない筈の父が 私を見て涙を流したの。

あの時、既に許していたと思うのだけど…


今の私にとって父は

穏やかで、可愛くて、とっても愛情深い、子供の様な人だったって思えるんです。

この絵 好きだなぁ❣️



今日からマヤの暦はイッシュ(魔法使い)のカンキッヒ(13日間)に入りました。

キーワードは

女性エネルギー・受容・許しの女神・宇宙創造の象徴・カルマの解体…  そして信じる力




わたし 今日、やっと男性的 強い権力を憎む気持ちを手放して許せたかもしれない。

それはきっと古代ローマカトリック教的思想を許せないという気持ちから来ていたのかもしれません。


そこに意識が向くより 沢山の人に愛されていた事に気付いたんですよね。

そう思ったら また涙が出て来た。。



そして、突然❣️❣️❣️

宇宙13   地球20  

というメッセージが💝


そうだったんだ❣️❣️❣️❣️❣️

これは凄いメッセージです。😍


 手放したら入って来る💝

 これは絶対的宇宙法則の様です。