私が福岡で修行していた店の師匠は
大阪で修行していた事から、所属して
いた研究団体の本部は大阪。
その大坂で毎年6月の第1月曜日に
研究団体が主催する全国大会が開催
され師匠の息子も出場する事から、福岡
から毎年参加するため夜行バスで大坂に
行き競技会終了後に最終便の飛行機で
帰って来るというスケジュールが毎年
恒例だった。
会場は大相撲春場所が開催されて
いる難波の大阪府立体育館だが、この
会場は83年を最後に建て替えられる
ため84年と85年の2年間は大阪城
ホール開催となっていたのだ。
つまり私がいた82年から最初の2年間が
旧府立体育館で83年&84年が大阪城
ホール、そして86年から現在の新府立
体育館=エディオンアリーナ大坂になる。
基本的に夜行バスで大阪駅に到着し
地下街の日本食堂で朝食を食べてから
タクシーで会場に移動するのだが、この
年は大阪城ホールができて間もなかった
からかタクシーの運転手が今一つ道に疎
かったようで大阪城内に入って行ったり
するなど混乱して何とか会場に到着する。
やがてスタンドの2階席に陣取って待機し
コンクールに出場する者達は控室に行くの
だが、道具は使い回すためボクシングの
世界戦の時などにドレッシングルームに
なる部屋まで道具を届けるのに広過ぎて
迷子になるほど大きな会場だった。
この年の3月15日にWBA:Jバンタム級
タイトルマッチで王者A氏がセルソ・
チャベスと6度目の防衛戦を行ったのを
見ていたので、大きな会場だなと思って
いたのだが実際に行って見ると聞きしに
勝る広さだったのを思い出す。
この年の7月5日にA氏はWBC王者パヤオ
・プーンタラットとの統一戦をこの会場で
行ったのだが、それに相応しい会場だと
思ったのだ。