上田です。


一週間ほど前からバンコクに来ています。日本人の方からは「この暑い時期に、暑い国に行くの?」と言われることが多いですが、これは実は、大きな間違いです。


夏休みの時期(8月~9月)は、タイの方がはるかに涼しいのです。特に、京都からバンコクに行くと、風は吹いているし、かなり過ごしやすいです。夏休みは、バンコクに避暑へというのもあながち嘘ではありません。それだけ、京都の夏が厳しいということを、京都人は認識していないのですね。タイ人も「京都の夏は暑い」といいますから。


さて今回のバンコク滞在では、何社か日系企業を回り、お話を伺いました。その中で、昨年2011年10月にタイを襲った洪水で、日系企業が受けた被害及びその対策について、紹介しましょう。


まず、タイにはたくさんの工業団地が存在しますが(2008年時点で38)、そのうち浸水したのは7か所。私も、その7つの工業団のうちの一つを訪問しました。たくさんの日系メーカーが操業している工業団地です。


10月20日に水が北から押し寄せてきて、約40日間冠水。水位は、床面から2.8メートルに達したとか。お話を伺った日系メーカーによると、設備はほぼ100%使えなくなり、一部操業開始が2012年2月末、本格的な操業開始は4月半ばと6か月を要したそうです。


復旧のために設備を輸入するにあたっては、世界のあちこちのメーカーに問い合わせて、本来は納入までに1年かかる特注品も、3-4か月で納入させたという話も聞きました。必死の企業努力がうかがえます。


ここでも日本企業にとってネックになったのが、円高。つまり、日本からの設備輸入は、円高のため高すぎて手が出ない。したがって、中国などから輸入したとのこと。中国で操業する日系メーカーからの輸入だったのかもしれませんが、いずれにせよ、円高が日本の輸出にマイナスの影響を与えていることが、ここでも感じられました。


興味深いのは、これほどの大被害を受けながらも、日本企業のタイからの撤退という動きがほとんど見られないことです。工場の立地を洪水被害のなかった東部タイに移転させる企業は若干ありましたが、今後もタイを重要な生産及び輸出拠点と位置づけ、ここでの操業を継続する企業がほとんどです。


これは、タイでの操業経験がすでに長いこと、インフラが整備されていること、日本企業の産業集積があること、日本企業が人的資本の形成を進めていることなどによるものです。洪水被害にもかかわらず、タイが依然として、日本企業にとって重要な国であることを示しています。


ところで、タイ政府は、「このような洪水被害が、今後決して起こらないように対策をとる」と明言しています。その対策の一つが、洪水被害を受けた7つの工業団地をコンクリートの堤防で囲むこと。


我々が訪問した工業団地でも、二重の堤防が建設中でした。この工業団地は民間の工業団地のため、堤防建設の費用の3分の2を政府が負担してくれるとのことでした。


工業団地の経営者のタイ人の方は、「この堤防は、JICAからの技術提供を受けて建設されるもので、洪水対策は万全である」とj自信満々。


しかし、面白いのは、日系企業が、この堤防を信用していないことです。各企業で、独自の洪水対策を取るとのこと。これは、日本企業がタイ政府の政策を信頼していないということでもあり、両者の食い違いについて、私は「やっぱりね」と、妙に納得させられました。


最後に、日本人とタイ人の洪水に対する関心事の食い違いについて。


皆さんも記憶しているかもしれませんが、昨年のタイ洪水に関しては、日本のマスコミは連日、いかに日系企業に対する被害が甚大であるかを繰り返し、報道していましたね。つまり、日本にとっては「日本企業をいかに守るか」が最大の関心事でした。


これに対して、タイ人にとって最も大事だったのは、「いかにバンコクを洪水被害から守るか」、換言すれば「北から流れてくる水を、いかにバンコクに入れないようにするか」でした。


タイを動かしているのは、バンコクの人々です。「地方を犠牲にしてバンコクを守れ」という言い分が通る国です。バンコクも一部浸水しましたが、中心部には水は来なかったので、インラック政権は何とか面目を保ったというところでしょうか。


今回、被害を受けた工業団地はバンコクから北に離れた「地方」に立地しています。

バンコクを最優先させるタイ政府がとる洪水対策を、日系企業が信用しないのも当たり前かもしれません。





上田です。


久々のブログ更新です。間もなく、五山の送り火の点火が始まります。

昨年も、我が家のベランダから鑑賞したことを思い起こし、月日の過ぎるのが早いことを実感しています。


さて、8月初めの合同ゼミは、皆さんご苦労様でした。

最後にトラブルがありましたが、皆さんのご協力の下、無事に終了できました。

ありがとうございました。これが皆さんにとって、よい経験になったことを祈っています。


さて今回は、ある「物理屋さん」のお話についてです。


合同ゼミの数日前に、ある地方自治体が主催する夏期大学で講演をする機会がありました。


3日間にわたる「夏期大学」で、テーマは、「継続と革新」。

私は「タイの現状をどう見るかーー継続と革新の観点から」というテーマで、タイの政治と経済について話をしてきました。


これについては、改めて書く予定なので、今回は、私の次に登壇されたある「物理屋さん」について書きます。


この「物理屋さん」、著名な物理学者です。数年前に、ノーベル物理学賞を受賞されたので、皆さんも

お名前は知っているはずです。


さすがご高名な学者さん! テーマである「継続と革新」を全く無視したお話でした。いろいろな話題に触れられましたが、その中で、皆さんが興味のありそうな内容をいくつか紹介しておきましょう。


まず、今後の日本のエネルギー政策について。

「化石燃料は、あと300年で枯渇する。しかし、風力発電などの再生可能エネルギーは蓄積ができない。したがって、現在の日本が、再生可能エネルギーのみに依存してやっていくことは難しい。現実的なのは、今後50年間は、だましだまし原子力発電所を使っていくということ。その50年間に、同時に、新しい技術を開発する努力をすべきである。」


物理の理論が確立してから、それが実用化されるまで、100年かかる。

(したがって、常に、研究は続けなければならないということ。)


聴衆の理科の先生からの質問「子供の理科離れを食い止めるにはどうしたらいいのか」

先生のお答え:「母親が子供をダメにしている。ある理科の簡単な質問に対する正答率は、高校生よりも小学生の方が高い。親の干渉が問題である。」

これについては、大学の父母会で、学生さんのご父母の方とお話をする際に、私も同様なことを感じることがあります。


これも聴衆からの質問。「タイムマシーンって、本当に作ることができるんですか」

先生は、「できません」ときっぱり。


私が、先生のお話を聞いていてうらやましいと思ったのは、ご自分のことを「私は物理屋ですから」と繰り返しおっしゃっていたことです。


他の科学者たとえば、化学者を「化学屋」と呼ぶのかどうかはよく知りませんが、少なくとも「経済学者」を「経済屋」と呼ぶことはありません。


「物理屋」という言葉には、自らの研究に対する熱意と、それを技術として、社会に還元しているという自負が込められているように感じました。


経済学者が、その研究成果を社会にどう還元しているのか。この20年間、日本経済が、ほとんど成長してこなかったことを考えると、私も含めて、経済学者の存在意義を考えさせられました。

こんにちは!上田ゼミ4年の廣重です。

もうお盆ですね!僕は今年の夏はじっくり福岡に帰って、地元でゆっくりしたいと思っています笑



さて、先日8月4~5日にゼミ合宿が行われました。

立教大学、神戸市立外国語大学、下関市立大学、同志社大学小野塚ゼミ、との4大学5ゼミ合同ゼミ合宿です。

ディベート大会で盛り上がりました!!


僕は4年生なので、今年は司会としての参加でしたが、質の高い議論や一生懸命な姿を見て、本当に楽しい時間で良かったです!

昨年のゼミ合宿では、僕たち上田ゼミは全敗という結果に終わってしまたのですが、今年は2勝1敗とリベンジを果たしてくれました!!笑



ディベートって実際にやってみると本当に難しいんですよね!

僕も昨年初めて経験して、限られた時間内でチームで協力しながら主張の穴をついていくのは、本当に大変でした!



そんな中、3年生は春学期の間、暇があればディベートの資料を集めたり練習したりして本当に頑張っていたので、結果もでて合宿も無事成功して本当に良かったです。

また、今年はゼミ幹事として宿舎や会場の準備まで、全員で協力してこなし、本当にお疲れ様でした。



宿舎では、他大学との交流を楽しんだり、普段は見られない三年生の一面を見たりして、これもまた楽しい時間になりました!

来年は、立教大学が開催するので東京ですね!

今から来年が楽しみです!!



ゼミ合宿終了後には、秋学期からスペインに留学に行く田中君に、寄せ書き色紙のプレゼントのサプライズもあり、本当に仲がいいなぁと実感する瞬間でした!

この団結力を生かして、新ゼミ生の勧誘や秋学期からの授業ももっと盛り上げていきましょう!



上田ゼミに興味のある2年生の皆さんは、ぜひ説明会で生の雰囲気を感じてくださいね!