「お宝、拾いましたね」── 恵比寿の徳拾いと、心の使い方
渋谷区恵比寿の税理士、上田智雄です。
今日は土曜の朝8時半、恵比寿の街で「徳拾い」をやってきました。集まったのは19名。
「徳拾い」というのは、私たちの仲間うちでの呼び方です。ゴミ拾いのことなんですが、誰かが「ゴミ」と口にしたら、すかさず周りが「徳だよ」と突っ込む。それだけのルールです。
5月最後の土曜、恵比寿の空気はまだ夏になりきっていなくて、朝の日差しは柔らかい。袋を片手に19名で街を歩いていると、ふと頭の中で言葉がほどけていくような時間があって、今日はそこで考えたことを書きます。
心とは、時間のこと
少し前に、ある経営者の方が、こんな言葉を教えてくれました。お寺で聞いた話だそうです。
「心の本当の意味は、、、時間のことなのだよ」
最初は、なんのことだろう、と思いました。でも、その言葉を、今日、袋を提げて歩きながら、ふと思い出したんです。
心っていうのは、なにか固まりで存在しているものじゃない。一瞬一瞬で生まれては消えていく、時間そのものなんじゃないか、と。
そういえば日本語でも、「心移り」「心変わり」「心ここにあらず」──「心」がついた言葉、ほとんど動いてばかりなんですよね。
恋人に「一生好きでいる!」なんて言いますよね。でもあれは本当は、消えていく「好きだ」を、その都度その都度、また呼び戻しつづけるということ。そう考えると、そう簡単に言える言葉じゃないのかもしれません。
やる気だって、決意だって、悲しみだって、全部その瞬間に生まれて、次の瞬間にはもう別のものに変わっている。
「お宝、拾いましたね」
そんなことを考えていた今日、おもしろいことがありました。
参加メンバーの一人に、近所に住んでいるであろう年配の女性が、立ち止まって声をかけてくれました。
「あら、お宝をたくさん持っているね」
「いいもの拾いましたね」
ゴミを「お宝」と呼んでくれる人が、この街にはいた。考えてみれば、その女性がやってくれたのは、私たちが使った30分に、別の名前をつけてくれただけ。ゴミを拾った30分が、お宝を持ち帰った30分に書き換わった。中身は何も変わっていません。でも、時間の意味は変わった。
これが、心の使い方なんだと思います。
いま、何に時間を使うか
この徳拾いの活動は、何かを得るためにやっているわけではありません。健康のためでも、人脈のためでも、賞賛をもらうためでもない。ただ、その朝の30分、自分の時間をそういうふうに使った。それだけです。
正直、私たちは、いつか何かを手に入れようと、いつも動いているけど、たぶんそこには何もありません。でも、その「何でもない」が、自分の中の奥深くにある美に触れさせてくれる瞬間がある。今日の女性が、まさにそれに気づかせてくれました。
あの経営者の方が教えてくれた、「心とは、時間のこと」。心が時間そのものなら、心の使い方を考えることは、もう時間の使い方を考えることと同じ。別物じゃない。
いま、何に時間を使うか。人生は短い。残された自由は、たぶんそれくらいなのかもしれません。
今日参加してくれた19名のみなさん、ありがとうございました。あの女性に「お宝」と呼んでもらえたのは、みなさんのおかげです。
