ゴミ拾いすると、心のゴミまで見えてくる!
渋谷区 恵比寿 の 税理士 上田智雄です。
今朝は7:30から徳拾い(ゴミ拾い)。参加者は12名。
朝の涼しい空気の中で「いいことしてるぞ感」はあるんだけど、正直言うと、やっている最中はいろんな感情や思考が交錯します。
「この街は綺麗だ」と思う一方で
やってみると、この街は意外ときれいに保たれていると感じます。
隣駅の渋谷では朝からゴミやタバコの吸い殻が目につきますが、恵比寿に着くと「そういえば気にならないな」と思う。
でも、それは誰かが毎日掃除してくれているから。私たちはその恩恵をただ受けていただけでした。
実際に街を一周してみると、他にもゴミ拾いをしているチームや、ほうきを片手に掃除する人たちに出会います。
近所のおばあさんが違って見える
徳拾いを始めてから、違って見える景色があります。
朝6時ごろ、自宅の近所を掃除している白髪のおばあさんをよく見かけます。最初は「自宅前だけ掃除してるのかな」と思っていましたが、何度も見かけるうちに、彼女が半径200mほどの範囲を毎朝回っていると知りました。
以前は「暇だから」「趣味なんだろう」と思っていたけれど、自分がやると分かる。
・目の前でポイ捨てされると腹が立つ
・誰にも褒められず、黙々と拾い続けるのは苦痛
・正直、汚いものを拾うのは嫌
それでも続ける彼女は、暇人なんかじゃない。街を守る“無名の英雄”なのかもしれない。
ゴミと一緒に出てくるもの
メンバーから「ゴミはゴミを呼ぶ」という話が出ました。
確かに、表面はきれいでも、奥まったところや人目につかないところにゴミがたまっている。
自分の心も同じだと思います。普段は隠しているけど、奥には醜い感情がたくさんある。
ゴミ拾いをしているとイライラしたり、「なんで俺がやらなきゃ」と思ったりもする。
仕事でもプライベートでも、そんな気持ちは確かにあるけど、普段は見せないように必死に隠している。
もしかしたら、その隠した感情と向き合うことこそ、この活動の意味なのかもしれません。
利他はきれいごとか?
「利他が尊い」なんて言われても、正直、現実はそんなに甘くない。
自分のことで精一杯だし、誰かのために動いても気づかれないことも多い。
でも、今朝読んだ稲盛和夫さんの一文を思い出しました。
人は、心で思った通りの人間になる。
完璧じゃなくても、「少しでもそうなりたい」と思い続けることが大事なのかもしれません。
次回の徳拾い
これまで2ヶ月に1回でしたが、次回からは月1回に増えます。
次回は10月18日(土)7:30〜。
次回も、街と自分の心を、ほんの少しだけでも綺麗にする時間にしたいと思います。
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