他人の懐勘定なんて、下衆のやること。
アタシって下衆だから(^^)
断腸亭日乗にはしばしばお財布のアレコレが登場する。
高等遊民だから多少は苦吟しながら働いている風だが
オンナと遊び
歌舞音曲に親しみ
待合や酒房に入り浸り
書画を買い求め、、、、なんとも羨ましい。
大正十三年の所得金額は4184円だと税務署から通知があったと日乗に記載されている(実際は所得と課税額の通知だろう)
江戸期はもとより明治大正だって貨幣価値の換算には苦労する。
様々な換算係数があるにはあるが、、、当時の一円が今の六百倍とも一千倍とか?
大卒サラリーマンの初任給は月額50ないし60円くらいだったらしい(年額で六百円台)
大正期の総理大臣は、年俸換算で一万円余り
どうも、これっぽっちで荷風先生のあの放蕩生活がまかなえるとは思えない。
かなり収入を誤魔化していたか、、、いまでこそ銀行振込が当たり前だが、荷風の現金手渡しが主流みたいだし、所得の源泉徴収はナチスの発明だ!
あるいは、「収入と所得のカラクリ」の差かしら?
明治政府の最初の頃は地租税(今で言う固定資産税)が収入の主流であり、経済の発展により所得税に主力
が移ることで、大正期に現在に近い所得税体系が出来上がった。
以降はかなり憶測なり想像まじりだが、今の税制ならば、文士稼業の為に歌舞音曲への支出や書画を購入したり、社会風俗探訪の為のカフェーやらの支払や私娼窟の枕代(取材協力費ならば通ります)まで必要経費にするという控除制度もあっただろうし?
荷風は自称戯作者の気分なんだろうが、父親はかなり著名な経済人だし、彼もドロップアウトしたとは言え、実業を学ぶために米仏に留学もしている。
そんじょそこらの無頼文士よりは経済脳は発達していたに違いない。