一休宗純は室町時代、南北朝統一から応仁の乱の頃を生きた、天皇ご落胤である。
当時的には長寿でしたが「老いてからなおなお盛ん、、、どころか淫乱としか」ってことよりも、若い頃の頓知噺しで人気がある。
しかし、あのエピソード集は江戸時代のものらしく、たぶんにフェイクだ。
有名な「コノ「はし」ワタルベカラズ」 なんてどう考えてもおかしい。



能舞台とは能楽堂全体を意味することもあるが、狭義には三間四方の本舞台をいう。
この舞台を九等分し、真ん中を正中という。
何故か重箱読みですが、理由は知りません。

この正中という表現は、橋や参道にも使うようでこの場合は「しょうちゅう」と読む。
神様や貴人の通る場所だから、一般者は忌避するのが作法とされる。
能舞台の橋掛りも、出入りの際には囃子方(オーケストラみたいなバックミュージシャン)は正中を避けるのが正しい。
シテの通る場所であり、シテとは、人ではなく多くの場合は、霊、神仏である。

高杉が松陰師を埋葬するため、千住から豪徳寺まで荷車で運んだ際どっかの御成橋の真ん中を通り、番人から咎めを受けたらしい。
将軍だけが真ん中を渡れるというルールらしいが、
傍若無人な高杉さんですから、なんとか言い放ちだんびら振りかざして押し切った。


そんな作法は無意味で根拠がないと書き散らす向きがSNSを主体にアレコレあるが、如何なものかねえ。

中国の古典に「晏子の御」という逸話があるが、道の真ん中を横柄に歩く様は見た目にも心地よいものでなく、謙譲の美徳とは無縁である。
今時流行らないと言って仕舞えばそれまでだが、知って行う様と知らずにでは天地ほど違う。

高杉晋作は確信犯であるが、一休さんは、この頓知噺が事実であれば、単に無知ってことであり、
ありえないことだと・・・・