→ 安井金比羅宮
→ 六波羅蜜寺
鎌倉幕府が、京都(朝廷)の不穏な動きの監視強化のために六波羅に置いた監視機関☝️
事の発端は1221年に起きた承久の乱。朝廷の権限を次々と奪っていく幕府に堪忍袋の尾が切れた後鳥羽上皇が、幕府に対して挙兵をしました。
承久の乱は幕府方の圧倒的勝利に終わり、その後、「二度とこのようなことはおこさせない。」そんな幕府の強い想いで設置されたのが六波羅探題なんです☝️
平安時代後期、六波羅蜜寺の建てられている土地は、平忠盛・平清盛・平重盛など、平家の本拠地であったため、六波羅蜜寺には平清盛の像も建てられています。平家滅亡後、鎌倉時代の六波羅蜜寺は、源頼朝によっておかれた六波羅探題の拠点となっていました。その後、室町時代に起こった応仁の乱で、京都の多くの寺院が焼けてしまう中、六波羅蜜寺の本堂は焼けずに残りました。補修などはあったものの、六波羅蜜寺は平安時代から今日まで焼けずに残った貴重なお寺なのです
御朱印。
→ 安井金比羅宮
→ 六波羅蜜寺
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