JR東福寺駅下車。
JR東海道線を横切って塩小路通りまで歩きました。
左、三十三間堂です。
こちら、前回、三十三間堂を拝観した日に一緒に拝観しようと思ってたら、コロナの影響で拝観停止やって、先日、いつも見させてもらってるブログの方が訪れていたので寄せてもらいました
養源院のブログは別に記載します。
→ 養源院のブログ
聖護院門跡のブログは別に載せます。
こちら、前回寄せてもらった時、御影堂が修理中で上がれなかったので、今回の三門公開を兼ねて再訪。
知恩院のブログは後ほど。
→ 知恩院のブログ
で、知恩院からお隣の八坂神社を参拝。
四条から東大路を下ります。
参拝ブログはのちほど。
ゲゲゲの鬼太郎
今から412年前の慶長4(1599)年に、鳥辺山(とりべやま:平安時代以前から京の埋葬地となっていた場所)から夜な夜な飴を買いに来る女性が現れました。この女性は、毎回1文ずつ手にして飴を買いに来ていたそうです。ある朝、銭函の中を見てみると、しきみの葉(お墓にお供えする花)が入っていました。不思議に思った店主は、その夜、買いに来た女性の後をつけていったんです。すると、鳥辺山にある墓地の前ですーっと姿を消し、お墓の中から赤ん坊の泣き声が聞こえてきたそうです。翌日、お寺の住職と一緒にお墓を掘ってみると、中から飴をくわえた赤ん坊が出てきました。
その幽霊は赤ん坊をみごもっている時に亡くなり、土葬された女性だったのです。しかし、亡くなったあともお腹の中では子どもがすくすくと成長し、お墓の中で赤ん坊が誕生しました。母親は自分が母乳を与えることができないため、幽霊となってうちに飴を買いに来たといわれています。
このことから、いつしか『幽霊子育飴』と名前が付けられました。
その幽霊は赤ん坊をみごもっている時に亡くなり、土葬された女性だったのです。しかし、亡くなったあともお腹の中では子どもがすくすくと成長し、お墓の中で赤ん坊が誕生しました。母親は自分が母乳を与えることができないため、幽霊となってうちに飴を買いに来たといわれています。
このことから、いつしか『幽霊子育飴』と名前が付けられました。
拝観ブログはのちほど。
see you again 👋