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子供の娯楽が多すぎないか?

アニメファン第一世代→長年アニメ作ってきた管理人が語る、「子供にとっての娯楽」の功罪

今回もネットでみつけた興味深いお話です


中学生の娘の気をひこうとしたら「キモい」と言われ、「叱るときは叱って」と叱られる


今度は中学生の娘さんからお父さんが説教されるというお話。
しかも本になってます
お父さんがキモい理由を説明するね―父と娘がガチでトークしました (Linda BOOKS!)/中山 順司

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これまたリンク先を読んでいただきたいのですが、簡単に言うと、最近自分をキモがる娘にちゃんと話してみたら、娘がその理由を論理的に説明してくれて、というもの。

この娘さん、すごいですね。
大人の女性でもこうして論理的に説明できる人は少ないのではないでしょうか。

まあ、父親に向かってここまで言ってしまえる関係は必ずしも賞賛できるものではないかもしれませんが、「口も聞いてくれない」関係よりははるかにましといえるでしょう。
だから、説教されてしまってショックとは思いますが(少なくも私が同じように言われたらショックです)、お父さんの子育てはけして間違っていないと思います。

面白いと思ったのは、ここでも「一般論」が語られていて、しかもこの場合は、言われた方の胸に相当刺さったのではないかということです。
前回まで取り上げた父娘の例では、一般論しか言えないお父さんでは娘の心にはあまり刺さらないわけですが、これが逆になるとぐっと刺さってしまうわけですね。

私は、一般論では人の心を動かせないとずっと思ってきましたが、両者の立場や関係次第ではこういうケースもあるということでひとつ学んだ思いです。

著者の人、頑張ってください(笑)。


ブログ開設そうそう、2ケタのPVを達成する日がありました。ありがとうございます。
アメーバはすごいですね。
(でも出会い系の人はコメントしないでくださいね。迷惑です)

ここまで書いていませんが、ここで私が主張していることは、もちろん勝手な仮説です。
「~だと思います」「~と考えます」とその都度つけるのが面倒なだけですので、お許しください。

さて前回の記事は少々とりとめなくなってしまい。反省しています。
要約すると、私の仮説はこうです。

親が子供にちゃんと向き合わない

 ↓

子供も親を理解しようとしない
自分が存在する実感がなくなる

 ↓

親以外のどこかで、自分の存在を実感できる場所を探す
(前回はこのことを「自分探し」と書きました)

 ↓

ゲームに没頭する
生動画サイトに出没する
出会い系に走る    などなど
(昔だったら不良グループに入る) 全く解決にならない

 ↓

親にばれる

 ↓

(親)説教するが、そもそも子供を理解してないので一般論しか言えない
(子)ますます親と距離感を感じてしまう
解決どころか逆効果な場合もあります

 ↓

パターンA:親=社会代表と思っている子~ひきこもる(社会との接点がわからなくなるので)
パターンB:自分の親がダメなんだと思った子~社会との強い接続を望むようになる

 ↓

Aの場合、若い人がなんでひきこもっていられるかというと、やはりTVやネットやゲームがあるからですね。人類史上かつてここまで家から一歩も出ないで娯楽が手に入る時代はなかったですよね。ネットのおかげで擬似的に他人との接点もできてしまうし。

ネットのことは他で意見を言う人もおおいでしょうから置いておいて。
娯楽について考えましょう、というのがこのブログのテーマなんですが、なぜそうなったのか、そしてなぜそれが危険だと思うのか、というところまで広げつつやっていきたいと思っています。

ではまた次回

そうそう、パターンBについてもいずれ書きます。これも場合によって問題なので。
(なぜブラック企業が存続できるか、の謎にも迫ります)

ブログを初めてそうそうに、気になる記事を見つけました。

官僚エリートの父親からニート娘へのお叱りのメール


(↑リンクになってます)

詳しくはリンク先を読んでいただきたいのですが、ようは、官僚で海外滞在中のお父さんが、ニートになってしまっている娘に苦言を呈するメールを送ってきたというものです。

その内容は要約すると
・ゲームして生きていけるわけはない
・皆、生活のために嫌な勉強や仕事をやっている
・好きなことしたければ働いて稼いでやればいい
・大学も出ていないキミがいい仕事につけるわけがない
というものです。

正論、ですね。
でも、私が思うに正論であると同時に「一般論」でしかないんです。
そこに、家族や親子ならではの言葉が何もない。他人の子供に送ってもそのまま使えてしまう内容でした。

この娘さんもいい年してどうなんでしょう、とは思いますが、それは一旦置いて・・・

私が感じたことは、この親子はどっちも不幸だなということです。
この娘さんだって、今までに「頑張ったこと」の一つや二つあると思うのですが、なぜお父さんはそのことを言ってあげないのか。
お父さんは仕事を嫌なことと書いていますが、仕事には嫌な事のほうが多いけど喜びを感じることもあるとなぜ言えないのでしょう。ずっと仕事をやってきて嬉しい事は何もなかったんでしょうか?

お父さん、苦労されていい大学に行き、官僚になったのでしょう。
そしていやな仕事を生きるため家族のためにずっとやってこられて、立派だと思います。

でもね、娘のことを全然見ていなかったんじゃないですか?
だから一般論しか言えないのではないでしょうか?
まして、仕事に対しても何のやりがいも喜びも見いだせなかったんでしょうか?

この子は、もっとお父さんに見て欲しかったんじゃないかと思います。
せめて、前向きに仕事に打ち込むお父さんの背中を見たかったんじゃないかと思います。

立派で有能なお父さんですが、可哀想な人だとも思いました。
そのお父さんの娘さんもやっぱり可哀想な子だと思います。

ここから先が、このブログのテーマにまつわる部分です。

親に存在をちゃんと求めていない子供は、どこかに「自分」を探しに出かけます。
正確には、「自分の存在を認識してくれる世界」を探します。
そこにゲームがあるとします。
ゲームは、手っ取り早くその世界を探せる場所なのです。
簡単に主人公になれるから。
ただし、この「自分探し」はしょせんバーチャルなものです。つまり錯覚です。

「自分の存在を認識してくれる世界」なんて、現実には簡単に見つかりませんから、本来ならそこで自分と向き合うわけです。その上で自分に何ができるかとか、どうやったら自分を周りに認めさせることができるかとか考え、試行錯誤するわけですが、ゲームの錯覚がけっこう心地いいので、そこから先に進めないわけです。

先ほどの娘さんはけっこう美人なので、動画サイトの生放送なんかやってたら、アホな男どもが色々呼びかけてくるので主役になれてしまいます。
結局はゲームとたいして違いません。
まったく成長できないわけです。

「自分」がない子どもほど、ゲームの快感が強くなってしまうのです。
一時的な避難場所としてゲームを楽しむのは、むしろいい面もあると思います。だけど依存性が強いから怖いなと思います。

マンガやアニメは所詮一方通行のマスメディアですから、自分の思い通りにはなりません。だから一時避難場所で終わることが多く、逆にフィクションでは自分をごまかしきれないことに気づいたり、現実の世界でフィクションと同等の感動を得ようとして原動力になる可能性もあるのですが。
ただ、ここでマンガやアニメの数が多すぎることが問題になってきます。次のフィクションに映ることが簡単にできてしまいます。

今のマンガやアニメには小難しい内容になっているだけで、精神面が幼いままのものがとても多いのです。だからそんな子どもたちが年齢を重ねてもに適度に合ったものが見つけられるわけです。

これではいつまでたっても自分と向き合うことはないですね。

話を戻しますと、
このニートの娘さんはそんな子どもたちの典型なのではないかと思いました。
動画の中で、娘さんは父親の赴任先に「行ってみようかな」と漏らしていました。
行くといいと思います。他に頼る人がいない外国で、親との関係性を確認するいい機会です。
このお父さんが頑張ってる姿も見られるでしょう。
願わくば、お父さんが、娘さんの前で「仕事なんて嫌で嫌でしょうがない」という態度を取らないでほしいですね。