これはオーストリアの詩人、ライナー・マリア・リルケ(1875年~1926年)が『若き詩人への手紙』の中で書いた言葉です。

 

『若き詩人への手紙』は、リルケが詩人を志す青年、フランツ・クサーファ・カプスに宛てて書いた手紙を集めたもの。そこには愛や孤独についてのリルケの考えが切々とつづられています。

 

リルケは愛についてこう書いています。

『愛することは個々の人間にとって、自ら成熟すること、自らの内部で何ものかになること、世界になること、相手のために自ら世界となることへの崇高な機因(きっかけ)であり、それぞれの人間に対する一つの大きな法外な要求であり、彼を選び取り広大なものへと招いてくれるあるものなのです』
 

つまり「愛する」とは、人生のすべてを勇気をもって受け入れ、精神的に成長しようとする高貴な態度、そのものなのです。

 

でも、私たちは日常生活で問題に直面すると「愛すること」の偉大さを忘れてしまいます。そんな人間の弱さに向かってリルケはこう言うのです。

 

『私はできるだけあなたにお願いしておきたいのです、あなたの心の中の未解決のものすべてに対して忍耐をもたれることを。そして問い自身を……愛されることを。今すぐに答えを捜さないで下さい。あなたはまだそれを自ら生きておいでにならないのだから、今与えられることはないのです。すべてを生きるということこそ、しかし大切なのです。今はあなたは問いを生きて下さい』

 

人生は日々私たちに、さまざまな問いを投げかけてきます。この意味で、人生とは問いそのものと言っていいのかもしれません。その問いを、あるがまま受け入れ、自らの血肉とし、生きることが大切なのです。

 

でも私たちは答えが見つからないと不安になってしまいます。問いを問いそのものとして受け入れることに嫌悪感を抱いてしまうのです。

 

そんな私たちに向かって、リルケはこうささやくのです。

 

『人生をしてそのなすがままになさしめて下さい。どうか私の言うことを信じて下さい、人生は正しいのです、どんな場合にも』