娘のこと① | ♡卯月花のブログ♡

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幼い頃からの想い出を縦糸に
道草しながら出逢った人や動物たちとの交流を横糸に
綴っていきたいと思います。
昭和の良き時代を生かされた事は
幸せだったとしみじみ感じます。







2018-06-23

「びっくりポンなお知らせです。」

の記事の中で
「読んで頂いて何かのキッカケになる事を願って少しずつアメンバー記事で綴っていきたいと思います。」
としましたが

日々が過ぎ
ブログで語り終えたことで
私の中には
あの頃の怒りや熱が静まってすいるようです。


ブログを始めた頃は
夫が白血病で逝き
娘が結婚して
母の認知症がすすみ
私と母の二人だけを放っておけないと
娘夫婦が同居し始めた頃でした。


一人娘を自分の両親に託して
仕事を続けていた私は
いくつもの後悔を胸に秘めて
暮らしていました。

私も夫も晩婚だったため
娘は親戚でも一番の末っ子として
可愛がられていました。
夫に似て運動神経が良くて
男の子のように活発な子でした。

男の子も女の子も友だちが多くて
好奇心の旺盛な子でした。










小6の2学期の保護者面談で
担任の女性教師の言葉を聞くまで
私は
娘が少し元気がないのは
大好きな祖父が10月に亡くなったことと
祖母が交通事故で長く入院してたことが
原因と思っていました。

「あの元気な子が昼休みに一人でポツリと椅子に座っていてビックリしました。
最近いつもなんですよ。」

信じられませんでした。
クラスの女子から仲間外れにされているようだと。

娘に聞くと?

女子がみんなで集まって
その場にいないひとりの子が
ワガママでみんなが嫌いだと。
そして娘に
「Mちゃんも嫌いよね。」
娘は
「そんなに嫌いじゃないよ。良いところもあるよ。」
「信じられない。本当のことを言って良いんよ。」

その子が教室に入って来ると?
みんながその子の傍に行って
楽しそうに喋り始めたそうです。
何もなかったかのように。

娘はその時の女子の態度が
理解できなかったようです。

その日からクラスの女子全員による
娘への無視が始まりました。
嫌われてた女子はイジメる側にいました。

イジメる側にまわった子は
1年生からずっと同じクラスで
祖父母が古い知り合いで幼馴染でした。










3学期から不登校になっていった
娘が後になって話したことは

イジメのリーダー格の女子は
学級委員をするようなしっかりした子で
女子全員を味方にして娘を無視し続けましたが
キッカケは
その子が好きだった男子に告白したら
Mちゃんが好きだからと
断られたからだそうです。

聞いた時は
小6で? 信じられませんでした。

娘は他のクラスの友だちや男子にも
何も話しませんでした。
自分のように庇ってイジメられる子が
居ては辛いから。

卒業式は何とか出席しました。
自分でも変わりたい想いがありました。










中学生になって嘘のように
元気に学校に行きました。

部活も陸上部で張り切っていました。
夏休みの読書感想文が入賞しました。

2学期から少し疲れたようでした。
娘は生理痛がひどくて
家でも寝込むほどでした。

学校に休みの電話をすると?
担任の女性教師は
「生理なんて誰でもなリます。
甘やかさないで下さい。
引きずってでも連れて来て下さい。」

部活で足首を捻挫した時も
「骨折しても来る子は来ます。
捻挫くらい何ですか。」

私は生理痛はありません。
足首にヒビがいって松葉杖で
小学校に通ったこともあります。

でも人それぞれでしょう。
父兄にこの言い方だと?
生徒にはどんな声掛けをしてるのかな?


小6の不登校の記録から
娘に対してことさら厳しく
指導してくれていたのかも?

娘は休みがちになり
3学期より学校に行けなくなりました。

2年生の担任は若い男性教師でした。
とても熱心に誠実に娘の不登校に向き合ってくれました。

そして娘は保健室登校ができるようになりました。

修学旅行も頑張って参加できました。

2年生から3年生へは持ち上がりが普通です。

3年生になったら教室へ行くから。

3年生になった娘は始業式に張り切って登校しました。

そして翌日から学校に行けなくなりました。


担任は1年生の時の女性教師でした。
私は校長先生に尋ねに行きました。

ベテランの女性教師は
娘のことが心残りで3年生を担任して
卒業させたいと申し出たのだそうです。










学校だけが居場所ではない。
家庭以外に娘の居場所を見つけたい。

私は市のフリースクールを訪れました。
そして保健室でもない。
中学校のクラスでもない。

フリースクールでの人との触れあいを
娘とともに決めました。

高校への進学は昼間の県立高校を希望しました。
フリースクールでは夜間に進む子が多かったです。

小6からほとんど学校で勉強していません。
フリースクールの先生も不安そうでした。
中学校の進路指導の先生は反対しました。

娘の意志は固く家族は娘を信じました。

母の友人が退職した3人の先生を紹介してくれました。

1人の先生は
同居しているお孫さんが不登校で他人事ではないと市外から無償で通って来て下さいました。

合格発表はフリースクールの若い女性教師が一緒に見に行って抱き合って泣いて喜んで下さいました。

娘は女生徒が学年で1人全校生徒で7人の
県立工業高校に入学しました。

卒業して社会人になって結婚しました。










以上の
私の一人娘の不登校の経験は
娘の許可をもらって綴りました。

娘は私がアメンバー記事で綴っていた事を知りませんでした。

昨日
娘にアメンバー記事のイキサツを語り
新たに綴ろうとしても
言葉が浮かばなくて
誰かさんのために綴れなくて

「それなら私が答えるよ。
経験した本人の言葉の方が良いでしょう。
何でも聞いてもらって。
そして私の言葉を伝えてあげて。」


と言う事で質問をお受けします。

コメントでも
メッセージでも質問して下さい。










不登校の時は
私と一緒でも外出先で
女子が3人くらい一緒に居るのを見ただけで
過呼吸になりました。

そして
社会人になってから話してくれたのは
中学で途中でいけなくなったのは
小6で女子の間で流された噂が
中学生になっても広まって
女子の自分を見る目が怖かったそうです。

その噂は
娘が男子と何人も付き合って
女子とも怪しい関係がある。
と言うものでした。

この噂を流したリーダーは
高校も大学も好きな男子を追い掛けて
入学したそうです。
ハッピーエンドだったかは?
風の便りにも届いていませんが。

ある意味?
一途な純愛だったのかもしれません。










不登校の原因は
その時は親にも言えない
本人も話すに話せない
深く心に沈んでいる事もあるようです。

今は言えない事も
いつか伝えてくれる時もあるでしょう。

どの子も安らかに過ごせる居場所が
見つかりますように。


娘が生きて傍に居てくれる事が
感謝です。










♡この記事は
リブログ拒否させて頂きます。
よろしくお願い致します。

と?
普通に公開するつもりで綴っていたのですが
この記事だけをリブログ拒否出来る機能が
この私のスマホでは無いようです。

全記事をリブログ拒否するには
私自身がリブログさせて頂く記事が多いのに
失礼と思いますので
アメンバー記事としました。






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画像は pinteretより