あかり姫と坂本龍馬伝説 -9ページ目

フリーター 坂本龍馬さんを学ぶ 其の三十五

龍馬の不安は高まっていました。

 

ーもし、長州が本当に異国船に砲撃を加えていて、これが続くとすれば、自分たちが戦争で出撃する日は案外近いのかもしれない。外国船の海軍力は日本とは比べ物にならない現状からすれば、自分たちは真っ先に犠牲になるに違いない。長州の連中はなんちゅうことをしてくれたんだー

 

そんな思いが頭を満たしていました。生麦事件で薩摩藩の者が異人を斬ったことが問題となっている最中に、長州の連中が外国船を襲撃しているとすれば、生麦事件の比ではないはず。そう思うと、龍馬はとにかく会議の招集と諸藩の公論による外交方針の決定を急がなければならないという、焦燥感さえ感じながら、京都へと向かう足どりは自然と早くなったのでした。

 

京都薩摩藩邸はまだ建ったばかりで新しい建物でした。

 

「私は坂本龍馬と申す者です。越前藩にて重要な噂を耳にしました。大事な用件にございます。この屋敷で最も偉い方にお目通り願いたい」

 

門番は怪訝な顔をして屋敷に問い合わせをしに行きましたが、しばらくして戻ってくると用件は手短にと、中に通されました。

 

「越前藩は今、将軍様が京都におられる間に上洛して幕府と諸藩とで会議を開こうとしちょります。薩摩のお殿様も上洛していただき、今後の日本について貴藩と力を合わせて行きたいと、お名前は申せませぬが、あるお方が仰っておられました。」

 

役人は表情一つ変えず、龍馬の顔を眺めて、こう言いました。

「殿様には私からその旨進言し申そう。ただし、それには条件がありもす。」

役人は「その方を越前藩邸までお送りせよ」と言うと、藩士らが龍馬を部屋から連れ出して越前藩の門前まで連れて行ってしまいました。

 

「他藩の根も葉もない噂話を吹聴し、我が藩の殿様に上洛せよなどと、何様のつもりか!そなたは越前藩邸でも同じことを言うてみるがいい」

 

「そなたの度胸は見上げたもんじゃ。じゃっどん、そう軽々しく他藩の情報を流して役人を惑わすのはいかんぞ!武士は発言には責任が伴う。軽はずみな発言は身を滅ぼすぞ!越前藩でせいぜい謝罪をして許しを請うが良いぞ!」

 

薩摩の色黒の腕っ節の強そうな武士たちに腕を掴まれて、福井藩邸前まで連れてこられたのでした。

 

「痛い!痛い!分かった分かった!ここからは私独りで十分ですので見ておって下さい!」

 

役人の腕を振りほどくと、龍馬は独りで越前藩邸に入っていったのでした。

 

「あやつ、一人で入りよった。」

「見上げた根性よのう」

 

龍馬は松平春嶽公の参謀の中江雪江に面会することが出来たのでした。

 

龍馬は春嶽公に神戸海軍操練所への5000両の援助を許されたことへの感謝と、越前藩士には積極的に入所して欲しい旨を述べたのでした。その上で、是非、春嶽公には急ぎ上洛いただき、薩摩ら諸藩との会議を主導していただきたい、と述べたのでした。

 

「幕府が無策との批判も強いですが、さりとて長州のように一つの藩の力だけで強大な外国に対処することは出来ません。しかし、それ以前に一藩の藩論がまとまらなければ、藩としての行動はできません。諸藩の知恵を出し合って、攘夷か開国かを決するためにお殿様に上洛していただき、対外交渉の先頭に立っていただくことを、私共草莽の志士としては期待いたしております・・・」

 

「さてはそなた、横井何某やら三岡何某に唆されたのであろう。困ったものよ。

はっきり申すが、時期尚早、我が藩としては積極的に外様のような振る舞いをすることは出来ぬ。」

 

ため息交じりのつれない返事でした。

それでもさすがは中根雪江、誰の意見も聞く、幕末の開明派の人気者、春嶽公の片腕だけに、龍馬の意見に対しても正面から答えたのでした。

 

結局、龍馬の説得をもってしても中根雪江の意見を変えることは出来ませんでした。越前藩の上洛案は実現することはなく、幕末の表舞台で活躍する機会を失うことになったのです。

 

ところで、故郷の盟友武市半平太の目指す一藩勤王に対して、諸藩の力を合わせた日本全国での勤王を目指そうという龍馬の姿勢は、ここに確固としたものとなりました。龍馬は諸藩の藩士たちに議論を促して藩論を盛り上げるよう促すと同時に、いかなる目上の立場の者に対しても臆することなく意見を述べる姿勢を貫くようになりました。このような龍馬の姿勢は、ひたすら上の者の指示に従って決まった作業をこなしながら家と藩内での自分の立場を守るために日常を生きてきた諸藩の武士たちにとっては、自分たちがしたいけれど出来ない、度胸満点の、ある意味命知らずの新鮮な生き方として映ったのです。

フリーター 坂本龍馬さんを学ぶ 其の三十四

話は少し戻ります。

 

龍馬が松平春嶽公に、勝塾の資金5000両の拠出を頼んだのは、まさに長州が外国船を砲撃した矢先の5月16日でした。外国への対応をどうするかが問題となっていたのです。今日は、福井での横井小楠と三岡八郎が夜に飲み会を開いて龍馬と懇親会をしたときのお話です。

 

「福井の財政を立て直したお二人にこうしてお目にかかることができたのみならず、このような場を設けていただき、有り難き幸せにございます」。

 

福井藩からの巨額の資金拠出についての緊張感のある横井と三岡の表情は打って変わって、温和でにこやかに龍馬を迎えてくれたのでした。

まだ明るさの残る屋敷の一室で、横井はすでに酒を飲み始めていました。部屋からは小川のせせらぎが見えて、龍馬は「良いお屋敷ですな」と感激しました。

 

「いや、勝殿はよい門下生を持ったものです。剣の腕前はいかほどで?」

「はい、千葉道場で免許皆伝で」

三岡が驚きます

「え、あの千葉周作の?」

「はい、私は桶町の道場で」

「なるほど、福井まで無事に来られたわけですな」

 

「しかし、この度の長州の攘夷決行では、いずれ外国との衝突もあり得よう。君たち神戸海軍操練所の生徒たちも日本の海軍の兵士としていつ出撃することになることか分からぬ。」

「いやあ、私共は海軍学校と申しましても、毎日政治談議ばかりしておりまして、軍艦を操縦する訓練はさほどしておりませぬゆえ、実戦に役に立ちますかどうか」

龍馬は笑って答えました。

「な~に言ってんの!外国と戦になったら誰が戦うの?諸藩の武士?幕府の旗本?誰も軍艦で攻めてくる相手と戦う準備なんてしてないよ。農工商の納めた禄を消費しているだけで、武士と言っても戦う力も気力もない連中ばっかりだよ。当藩は一応違うけどね。勝殿だって、大事な幕臣を戦闘で失わないために君たち浪人をも集めてるんだよね。だって、大事な藩士を殺されてみなよ、各藩の大事な家臣たちをころされちゃったら」

「は、はあ、そういうところはあるやもしれません」

「福井藩が金を出すのも、君たちを見込んでのことであって、むろん、欧米の軍艦が福井に攻めて来たら我が藩士たちも即時上洛して勇敢に戦うつもりだが」

三岡が腕を組んで笑いながら「どうでしょうかね~」と応じます。

龍馬は、自分たちが真っ先に犠牲にされかねない存在として認識されていることを肌で感じ、少し怖くなりました。 所詮は、自分たちは幕府の戦闘要員として集められた存在に過ぎないのか・・・

「私ども勝塾生は海軍兵士として、外国の艦隊と戦うことになりましょう。塾生一同、命は惜しまぬ覚悟です。しかしながら、外国も日本に通商を求めて来ているのでありまして、本来は戦をしに来ているのではなく、これからの課題は海外との通商ということではないのですか?」

「それを聞いたら横井先生は止まらなくなりますよ」三岡が笑いながら言います。

「まず、西洋人は契約で物事を突き詰める。まず契約をしてその履行を求め、こじれると最後には戦争になる。それで負けたら賠償金の支払いを求めてくる。このような習慣は我が国にはない。」

「それで清国は西洋の属国になったと聞いちょります」

「うん、シナでも日本でも大事にされてる徳目があるね、分かるかな?孔子だ。仁義礼智信だ。勉強しただろう?我々は道義を大切にする。我が国のように良心に基づく政治を大切にすれば、戦争にはならない。シナで最も優れた君子を知っているかな?」

「存じませぬ」

「堯舜兎だ。民衆の声を統治に反映し、君子の座を世襲ではなく、能力のある者に譲った。理想的な政治があった。それでは、今の世界ではこういう政治はあるかな?」

「民衆が君子を選ぶという点では、アメリカ合衆国ではないでしょうか」

「その通り!いやあ、さすが勝殿の優秀なお門下生だけある。あれはね、民衆が代議員を選び、その代議員がプレジデントを選ぶという優れた政治だ。まさに堯舜兎の政治だ。今でこそね、西洋は戦争ばかりになったがね、アメリカの初代プレジデントのジョージワシントンだけはね、世界平和の実現を意識していた。」

「我が国の徳川将軍はいかがでしょうか」

「今の徳川はね、徳川家を守ることしか考えていない。だから外国との通商や戦争を担当する能力が無い」

三岡が焦ります。

「坂本殿、これは、ここだけの話にしておいて下され」

「分かっております。これでも口は堅い方で」

「それなのに長州が攘夷を決行などと、今後の展開次第だが、戦争はもはや避けられぬ状況になるやもしれぬ。我が国と外国との関係をどうするのか。え?君はどう思う?」

「朝廷が決めるのではないでしょうか」

「何を世迷言を!むろん、これからは朝廷が中心となって政治は動く。しかし今実際に我が国の統治をしているのは誰か。将軍家であり、諸藩である。諸藩はまがりなりにも軍隊を持っているからね。だが、これからは海軍の時代だ。西洋の海軍力は比較にならない。国全体で対応しなければあっという間に滅ぼされてしまうのだよ。じゃあどうするか。」

三岡は咳払いをしました。

横井は言います。「坂本君ね、君はこの先の日本をどう考える?遠慮はいらぬ。」

「私は、もはや攘夷よりも、通商をすべきと思うちょります。海外との対等な交易により国は富を得ることができます。対等でなければ中国のように国の富を一方的に収奪されて、植民地にされてしまいます。確かに、日本の公海上をわが物顔で走り回る船に対抗して、私も船を手に入れて日本を日本人の手で、豊かにしたいと考えちょります。蝦夷を開拓するのが私の夢です。

「すばらしい」三岡が手を打って賛同しました。

「そうだね、君もね、これからは世界を志すべきだ。世界を知らなければ一国を治めることは出来ない。一国を治める力がなければ藩を論じることは出来ない。藩を論じる力がなければ各自の業をなすことはできないよ。そして君もね、我が国の徳である良心に基づいて、海外の進んだ技術を学び、通商をするも良し、そうすれば我が国は世界の世話を焼くほどの国になることができるだろう。日本は西洋のように戦争をしない。そして日本こそが世界平和を実現することが出来るのだ。」

横井の高調子でまくしたてる気宇壮大な議論に、龍馬は目が眩むような感覚に襲われました。

「そのためにはどうするか。これからの我が国で大事なのは、富国強兵だ。順番を間違えたらいけない。まずは富国、次に強兵だ。治者にとっては、民を大事にすることが何よりまず大切だ。分かるね?。民を虐げて富を吸い上げる支配者というのはどうか。」

「我が土佐藩は上士が下士を常日頃より虐げておりますが」

「ちょっと違うね。まあ、酒を飲みなさい。料理も冷めないうちにどんどん食べなさい」

「ありがごうとざいます」

「うん、治者が民を虐げて利益を貪るということは、自分の足の肉を自分で食べるようなものだ。腹がいっぱいになった頃には体を維持していけなくなる、国が崩壊してしまうということだ。」

「それは分かりやすいですね」龍馬は頷きます。

「民が各自の創意工夫で頑張って商業が活発になって国全体が豊かになる。国は産業を育成し、意欲ある者に資金を無利息で貸し付け、出来た産品を買い上げる。モノを生み出すのは武士の力では出来ないことだ。次は通商だ。ここで重要になるのが通貨の問題、今の外国との通商では非常に重要だ。藩で作った産品を海外に売っても、安く買い叩かれてしまっている。これを防ぐためには物価を吊り上げる。そして市場に金銀札を増刷して流していく・・・」

横井は話し出すと止まらないのでした。酒が入るとますます調子に乗り、高調子になっていく。龍馬はその姿を見て、暗殺された吉田東洋もこのような人だったのではないかと思うのでした。

「福井藩の財政立て直しの秘策を、こうして先生に伺うことが出来て私は感動しております」

龍馬は心から感動していました。

「うむ、だが、今はそれどころではないやもしれぬ。」

横井は赤ら顔で上気して勢いよく話していたですが、少し語勢を抑えたのでした。

「実は、越前藩としては、将軍様が京都におられる間に、異人の大阪上陸の場合に備えて諸藩と共に上洛して異国の代表らを呼び会議を開き、諸藩合議の上で対外方針を決めるべきであると考えておるのだ。

「坂本さんこれは秘密です」三岡の表情が急に険しくなりました。

「これは藩を挙げての決死の策であるだけでなく、今後の日本の進むべき道を決する重要なことであり、我が国の全体に関わることであるから、坂本君にも手伝ってもらわなければならない」

「私は今日、先生のお話を聞いて、攘夷、開国はもはや一藩で決するのでなく、国全体で考えねばならぬことがよう分かりました。長州では開国、交易による富国を唱えつた長井雅楽殿が、攘夷派に押し切られ失脚し切腹したと聞いちょります。久坂玄瑞たちが攘夷論を藩論として攘夷戦を始めたということです。薩摩の藩論を上洛とするよう働きかけが必要かと存じます。」

「うむ、もとより当藩としては、薩摩にも上洛を呼びかけるつもりであるから、貴殿の方でもその旨を薩摩藩士らに呼びかけていただきたい。生麦での賠償金支払いで最も頭を痛めておるのは薩摩であるから、薩摩を巻き込むことが肝要だ。」

「塾にも薩摩の者はおりますゆえ、呼びかけてみます」

「急を要するので、京都の薩摩藩邸でよいから、この横井の使者だと言って、島津公の上洛を求めたいと言ってもらいたいのだ。挙藩一致して外国に立ち向かわなければならない。そのためには君たち草莽の志士にも活躍してもらわないと」

「私も勤王の志士として、皇国のために命を捧げる覚悟はできちょります。」

「そうだ、その意気だ。」

 

龍馬はそのとき唄を歌い出しました。

 

「君のため~尽くす命は惜しまねど~、心にかかる~国の行く末~」

 

龍馬は翌日、福井を発ちました。

青空の下、太陽の陽ざしを浴びながら、龍馬の心には、一つの決心が生まれていました。

 

わしは長州の連中のように命を粗末にはしない。もし争いになっても、軽々に命を捨てたりはしない。日本全体、いや世界を見据えつつ我が国の未来を考えながら行動していこう、と。

 

足羽川のせせらぎを眺めながら、土手の上を歩きながら

 

わしは10年後は何をしちょるかな~

 

そんなことを考えつつ、ふと土佐のこと、乙女姉さんの顔を思い浮かべる龍馬なのでありました。

 

 

フリーター 坂本龍馬さんを学ぶ 其の三十三

攘夷に沸き立つ長州の城下町の夕暮れ時、久坂玄瑞と高杉晋作は遊郭の前でバッタリと鉢合わせたのでした。

「これは征夷大将軍殿、攘夷の宿願達成おめでとうございます」

久坂は一瞬、まずいところを見られてしまったという表情を浮かべました。

「うむ、私は征夷大将軍である。そなたに命を狙われる身である上に、多忙につき・・」

そう言うと足早に逃げ出そうとしました。

「まあ、待て、少し話を聞け!」

「僧侶のそなたが何か私に・・・」

「この度、イギリスに藩より五名が留学に行ったのはそなたの進言と聞いた。この度の攘夷決行はいったいどういうことか。松陰先生はそなたを諌められたはず。やはりそなたは攘夷に凝り固まっておるのではないか。異国の軍隊の力を見くびっておるのではないか。」

久坂は高杉の問いを黙って聞き、落ち着いて答えました。

「いや、攘夷は先生の遺言である。幕府が諸外国と勝手に結んだ不平等な条約に基づく貿易は、それ自体として国の富の流出である。また、商船であっても、アヘンを積んでいて中国の人民を阿呆にしたことはそなたが見て来たであろう。幕府が腰抜けであっても、我らが毅然とした対応をすることで、夷人に日本人を恐れさせることができる。我らが砲撃した商船は、秘密であるはずのアヘンの運搬を察知されたことに衝撃を受けているであろう。我ら長州における貿易の規則は我々が決める。最初から卑屈になって不平等な貿易を実践していて対等な関係など築けようか。対等な貿易のために攘夷は不可欠。」

「それは分かっておる。で、それと英国留学生派遣とどのような関係があるのか」

「留学生派遣の件は、松陰先生の師匠であられた佐久間象山先生の提案でもあり、私がこれを藩に伝えたことから実現したものです。これは象山先生も仰っておられたが、攘夷とは国を守ることである。しかし、攘夷とは目的であろうか。欧米列強は次々とアジアを植民地としておるが、それは決して目的ではない。清国の人民をアヘンで阿呆にすることは欧米列強にとって手段なのである。それは自国に有利な貿易を通じて強大で豊かな帝国をつくっておるということなのだ。そうすると、それらの国と戦って国を守るだけでは国は徒に疲弊するだけで無益である。攘夷によって対等な関係を作るためには諸外国を知り、平和な通商の秩序を作らねばならぬ。それは、そなたが見て来た中国やインドのような欧米の植民地ではなくて、彼らが作る理想の国である欧米の本国と対等な関係を結ぶために、欧米を知る、そのために留学生を幕府に秘密裏に派遣するのです。それは攘夷と全く異なるように見えて実は表裏一体、密接不可分なのです。我々草莽の志士は、神州日本を、攘夷のその先へと導かねばならないのです!」

そう語る久坂の瞳は大きく見開き、遠くを見据えていました。

高杉には自信に満ちた態度で語る久坂の横顔が、夕日を浴びて輝き、今までよりも一段と大きく見えました。このとき、高杉は、なぜ松陰門下で百姓上がりの伊藤俊輔が留学生に選ばれて、自分が行けなかったのか、これも久坂が仕組んだことなのではないかという思いが頭をよぎりました。そうであれば、攘夷の実行において久坂は高杉の藩内での役割に内心頼るところがあるのかもしれないなと思うと、少し自信が湧いてきました。

「武士らしうなったのう。正直なところ驚いたわ。だが、欧米列強がこのまま引き下がるとも思えぬ。そなたたち草莽の志士の活躍は見事だが、これからが大変じゃな。欧米の対応によっては、藩としても対応が難しくなるであろう。その折には私の出番もあるやもしれぬな」

「それは分かりませぬが、私も今後の対策を立てねばならぬ故、では失礼・・・」

久坂は無表情に足早に立ち去ろうとしました。

「まあ待て、待て!そなたも遊郭に来たのではなかったのか」

「いえ、たまたま通っただけです。先を急ぎますゆえ、失礼!」

そのとき、遊郭の部屋の高いところの窓が空き、遊女の白い顔がのぞき、甲高い声が響きました。

「久坂さ~ん。お待ちしておりました。はよう!はように!」

「ああっ」

久坂は大きな目をさらに見開いて焦りました。

「あっはっは、これは愉快!愉快!」

高杉は大笑いしました。

「さあ、将軍殿、一緒に入ろうかの!」

「そなたは頭を丸めた僧侶であろう。しかも妻のある身、世も末ではないか」

「僧侶も息抜きが大切である。そなたこそ、先ほどより口では松陰先生云々と偉そうなことを言うが、そなたの妻は松陰先生の妹君ではないか。行動では松陰先生を裏切っておる。先生が冥土で泣いておる姿が見えるわ!」

「それをいうか」

「この勝負はまたの機会としよう」

「了解した」

「征夷大将軍様のおな~り~!」

と高杉が奇声を挙げると遊郭はキャーキャーと大騒ぎになり、二人はそのまま遊郭の奥へと消えて行ったのでした。

 

そんなころ、伊藤俊輔たち留学生は英国船に乗っていました。長州藩の費用による留学でしたが、幕府の許可を得ない密航でした。

伊藤たちは英語はまだよく分からず、勉強をしながら行けばいいという状態で船に乗り込んだのでした。船長に、なぜ英国に行くのか、留学の目的を問われていることが分かりました。伊藤は、大きく手を振り上げて

「ネイビー!ネイビー!ネイビーゲーション!」

と大声で答えて、欧米の軍隊の敬礼のポーズを取ったのでした。

“really”

髭を蓄えた船長はニッコリとして嬉しそうに、伊藤に握手を求めました。船員たちと自己紹介をし合い、船内で小さな日英友好が成立したのでした。

それからというもの、五名の日本人留学生は船の中で蒸気船の掃除、船員の衣服の洗濯、蒸気船の燃料の運搬等、船員見習いとして、英国までの4か月間の航海の間、船員修行をすることになったのでした。

船員修行は厳しく、船長の

“Hurry up!”

と、厳しい怒号が飛ぶ毎日でした。

伊藤は五人の中でも特に船酔いが酷く、甲板に出ては嘔吐を繰り返しました。また、便所は船内には無く、海に落ちないように甲板の隅でロープで体を甲板に括り付けて用を足すという劣悪な環境でした。

無限に続く水平線と満点の星空の下、真っ暗な海に転落しそうな恐怖と眩暈の中で、伊藤は用を足しながら

「くそ~なんで俺たちがこんなことしなきゃいけないんだよ~!」

と涙にむせびながら、航海を続けたのでありました。

 

このように長州の志士たちにとっての「攘夷」決行は、勢いよく始まりつつも、先の見えない船出となったのでした。