うどんさんの投資歴は30年と比較的長い方なのだ。(現在の推定年齢5?才)
最初に興味持ったのは小学生の頃かな。
死んだじいちゃんが新聞の株式欄の字が見えにくいので株価代わりに見てた。
(この頃は昭和30年代だから今の感覚とはズレがありますので、誤解しないように。)
じいちゃんの口癖は未来に投資する事だった。まあ日本経済の上昇パターンだから
何買っても儲かる時代だったかも知れないが。
でじいちゃんが昭和40年頃に死にまして、最後に残された株が商船株(今はなき三光汽船とジライン、タンカーの商船株)じいちゃんの口癖はこれからは石油の時代がくるだった。
で親父も株価だけは見ていたらしく、5年位たってから株が急騰し始めました。
で倍位になったときに売却した所、まだ上がる上がる。
この頃高校生だった?うどんさん株に目覚める。
で本格的でもないが株を始めたのが社会人になってから、社会人の最初の振り出しは銀行員その後松下系の会社に転職して株価高いが、その時の社長の一押し銘柄が松下通信(今は松下と合併して存在しない)買ったのが社会人として初めての投資。
その後、四国に帰り就職、結婚して株からは離れた生活。
当時は国債の金利高いのでほとんど10年物の国債買ってた。
300万で半年9万位(年間18万)で目標が3000万貯金だった。(年間180万)まあこれ位貯まれば老後は遊べると楽観的な予測。
生活は親の家の近くで生活してたから、給料安いが生活は楽だった。
で車、ボート(船所有)と遊びほうけてたら親父がんで他界。
夫唱婦随できた母親父親死んで何もすることないので、趣味で株を教えたら、俄然元気になり株の世界へ。その時遺産少しもらいうどんさんも株の世界へ
この時親父の遺言は三井造船買えだった。
で三井造船買って放置してたらバブルが突如やってきた。
根性なしで倍くらいで売ると騰がる騰がる。
それなら株だと参戦して2年位月10万の収入ゲットしてたらほどなくバブル崩壊。(15年前)
そうそう、うどんさんその時買う株ないので悩んで、円高不況に苦しむ
ソニー転換社債4回債買ってリスクヘッジ。
これから株は下げに入り、含み損かかえ休憩。
今でも覚えているのが週刊誌のコメント。
日経3万8千円の時に4万円を煽っていたな。週刊誌全部。
でこれから週刊誌当てにしなくなった。
第2章 ITバブルからの株式投資
明日UPします。