引越し先のリビングにはソファーを置く予定です  若い頃はカウチ系が夢でした  でも子どもいるので安全性も考える必要がありますし  ストレスのたまるこのごろなので癒し系がいいかな  肌にふれるのでぬくもりを感じるものいいかな  またいざというときには移動がしやすいもの?  そういうものがないかとインターネットで多くのソファーを見ましたが  これぞというものはまだありません  強いていうなら  張り合わせ出ない木で作ったもので  クッションを置くようなものがいいのかなという気がしています  以前TVでみましたが表面に自然系のワックス塗り 汚れたり傷ついてもサンドペーパーでこすり修復可能なタイプのものがいいです  クッションは適度な硬さがあり カバーは竹繊維で編んだようなさらりとした感じの生地がいいです  欲をいえば活性炭をいれて 空気を浄化する機能もあればいいのではないかと  色は季節にあわせて変えたいので  クッションのカバーを変えれればもうしぶんないかな・・・    

 今住んでいる所にリビングはない  引越し先にはさいわいリビングがある  どのようにデザインしようか?  

 今の和室には 壁に改築のさいにあまった欄間を飾り 少し癒しの空間化させていた

 さらに子供が作った七夕の飾りをオブジェ的につるしておいておいた

 引越しにあたりその飾りを取り除いてみて初めて気づかされたことがある

 和室の壁の雰囲気が変わったのである

 何げない日々の生活における デザインの重要性を思い知らせた瞬間である


 二回トラックバックになってしまった???

 「アジアの潜在力」を見て ―海と島が育んだ美術― と副題には 美術 という言葉が入っているが ピカソがアフリカの原住民の絵に触発されたようにとまではいかないが 人間の祖先の自然に対する畏敬や崇拝等の感情表現に触発されるというか 人間のより野性的な自然への必然的な観察眼に触れた気がしました その跡に所蔵作品展を見ると 現代の芸術家は 表現方法がよりART的になったいう気にさせられます 昨今は能力開発の様々な本が出版されていますが 美術作品をどう見てどう感じるかも ある種の能力開発なのだろうと思えます 
この画家も その人生を知るとどんどん引かれる人である 日本でも随分と前にTVで紹介されていたが そのときのナレーションはよかった 映画にもなっているが憂いがあって好きだ フリーダの画の現物は1点だけ名古屋市美術館でみたが 幻想かもしれないが 彼女の苦難さがにじみ出ているように感じた そのとき感じたのは どれだけの人がある画に何の知識もなく見て 何を感じるのだろうかと よくメディアによる情報操作を云々批判を聞くが 画を見るこであっても それは同じことであるように思う

 今東京で開かれているゴッホ展に関連してかはわりませんが、日経にタンギー爺さんの色彩について、版版画の藍の色に影響されたことがわかることが紹介されていました。  異文化に触れることにより何かを感じるというのは、日本史や世界史で異文化が交わることにより芸術や文化面で変化がおこるというこで学ばされましたが、美術品にはそういうものが色濃く反映されるので、美術館等で展覧会を見に行くのはある種の異文化交流なのだと思います。  TVや書籍やインターネットなどでも同じなのですが、現物を直接観るというのが心の交流面で必要なことだと思われます。

 ネパールの高僧は 瞑想により幸福感を増幅できることを 脳波の計測で科学的に証明されたと TIMEに発表されているらしい  それによるとトレーニングによりバイオリンが弾けるようになるのと同様に  メンタルのトレーニングにより 人の幸福感を変える可能性があるということらしい  以前「強い心」というトレーニングに関する本を読んだがこれは どちらかというとアメリカンドリーム的な心の強さのような感じであったが そうすると宗教も ある意味一定の幸福感の感じ方の鍛錬?ともいえるのだろうか? マルコムXの映画をみたが彼も そういうものに近づけたのだろうか・・・・・
 旅行は好きでいろいろなところにいきますが 川上屋花水亭 はマイナスがないという意味で癒しの宿という気がしました  長所を売り物にするよりも短所をなくしていくのは ある意味で非常に大変なことだと思います そういうものが常に良いとは感じられないかと思いますが そういう宿もあるというのが日本の心のような気がします  そういう文化を感じるには今開催されている万博という限られて時間と空間では困難だと思いますが そういう文化を感じれる場も必要だし 味わえるようにすることが 手間ひまかかりますが 重要なような気がします 年老いたせいかもしれませんが・・・
TVでキューブを久しぶりに見たが、この映画はなかなか奥が深いように思える。平常時には何の問題もなくすごせるが、それはある意味砂上の楼閣的部分があり、問題が起こったり、非常時には隠れていた問題が表面化したり顕在化したりする。だからといってそういうときのことばかりのために平常時に思いをはせるようには一般的には生理的に対応するようには人間はできていないようにも思える。だから人はいろいろ思い悩むのだろうか。・・・・・
 楽しみにしてたゴッホ展が夏には愛知にいよいよきます 村田真氏のHPによると 「またしても、クレラー・ミュラー美術館所蔵の「ゴッホ展」が開かれるワケ」 ということらしいが そういう問題があるとしても それをうわまわる価値がわたしにとってはあるので楽しみです 昨年であったかと思いますが 名古屋市美術館に数点きていましたが そのときの印象は イメージよりも 画が明るい という感じでした ゴッホに関してその人物にせまる書籍がかなり出ていますが そういうものを読んで歩んだ人生を知れば知るほど好きになれる画家であると思います・・・

 タイトルは忘れてしまいましたが、知能が高すぎて周りから受け入れられない人を中心に、心の葛藤をえがいたものを見ました。 最後の方で、主人公は受け入れられないことを嘆くだけでなく、受け入れられない側の人の気持ちも理解し、互いに理解しあえるという心境にいたっていました。 月とすっぽん位の差はありますが、自分が気づくことを他人が気づけなくて、互いに理解できずいがみあってしまいコミュニケーションがとれないことへの示唆を得たような気がしました。