『濡流報(ぬるぽ)』
殷の時代、中国ではしばしば日照りが横行し、そのたびに人々は甲骨を用いた占いで天候の行方を占ったといわれている。
この占いの結果、出された雨の知らせが「濡流報(ぬるぽ)」であった。
濡流報は日照りで苦しむ農民達に歓迎され、農民達は、濡流報を伝える者に対し祝福の意味を込めて「賀(が)」と言ってもてはやしたという。
殷の時代、中国ではしばしば日照りが横行し、そのたびに人々は甲骨を用いた占いで天候の行方を占ったといわれている。
この占いの結果、出された雨の知らせが「濡流報(ぬるぽ)」であった。
濡流報は日照りで苦しむ農民達に歓迎され、農民達は、濡流報を伝える者に対し祝福の意味を込めて「賀(が)」と言ってもてはやしたという。
「濡流報」「賀」のやり取りは、初めは言葉だけのやり取りであったが、
やがて杖や棒を用いて、相手の頭をなでる行為が加わり慣習化した。
後の三国時代には、連弩の技術を応用した自動式の賀装置も作られている。
なお、現代の「ぬるぽ」「ガッ」のやり取りは、いうまでもなくこの濡流報が元になっており、
棒のようなもので相手を殴るという一見粗暴な行為に変化しつつも、祝福と感謝、五穀豊穣の願いが込められていることは明らかである。
民明書房刊『知られざる甲骨文字発祥の歴史』より
やがて杖や棒を用いて、相手の頭をなでる行為が加わり慣習化した。
後の三国時代には、連弩の技術を応用した自動式の賀装置も作られている。
なお、現代の「ぬるぽ」「ガッ」のやり取りは、いうまでもなくこの濡流報が元になっており、
棒のようなもので相手を殴るという一見粗暴な行為に変化しつつも、祝福と感謝、五穀豊穣の願いが込められていることは明らかである。
民明書房刊『知られざる甲骨文字発祥の歴史』より
※過去、某スレに投下したネタの転載です。
※転載にあたり、改行やわかりづらい文章等を少し修正しました。
久々の、過去作品掘り出し12作目です。
去年の過去作連続公開の時に2ちゃんねる的な言葉(ねらーじゃないとわからない言葉)は控えてそのままになってましたが、
新年ということで
そう言えば「賀」というめでたい民明書房があったなぁ…
と、ふと思いつきストックの中から探し出した次第です。
短くまとまっていて割とスマートな民明書房です。このくらいがちょうどいい…
2004年当時、民明書房スレに入り浸っていたときに作った中でも割とコピペされたのは
「治殷 治殷 主!主!主!」
※R-18なので知りたい人は検索を
あたりですが、この「濡流報(ぬるぽ)」も割とコピペされたネタだと思います(自画自賛。もちろん自分でコピペした分も含む)
「ぬるぽとは?」「それはまさしく濡流報(ぬるぽ)!」みたいな感じ。ぬるぽの由来は検索すると分かりますが、まぁネットスラングということで。
※この頃のネタは当時封神演義(フジリュー)のファンだったこともあり、れいにー作は殷周易姓革命がモチーフになっているのがわりと多いです。
2次創作の民明書房ネタは数多くありますが、個人的に目標としているのは
やはり有名どころの『煮解賭 ( にげと ) 』『酸下吐(さんげと)』 『アフガン航空相撲』、
また当時構成のうまさに衝撃を受けた『御長石松(おながいしまつ)』 『矢裸納射歌(やらないか)』 『三択老師(さんたくろうし)』あたりです。
これらくらい有名になれるよう、これからもマイペースで頑張ります!
あと、もう時効でしょうから言いますが、「なおガ」を最初に書いてコピペし始めたのもれいにーです…
お察しの通り、当時は民明書房スレに常駐していたガイドライナーだったのですが、その頃はいわゆる思いつきで立てたクソスレが乱立してまして、
どこかの板が荒れすぎてお取り潰しになったのを踏まえて「ガ板潰したいのか?」と新スレ立つごとに片っ端からコピペしていったら
いつのまにかそれが新スレ立った直後に貼られるコピペとなり、「コピペを集めるガ板で発祥したコピペ」と変な意味で有名になり、
そのうちガイドライン板の看板として水先杏奈ちゃんがなおガの看板持つのが画像となり…
あの頃は若かった。ちなみに資料室との分割騒動もこの頃でした。懐かしい。
なお民明書房スレは結局1000まで行かず現在は断絶しております…残念。
さてさて、それでは正月も終わりかけですが、今年も宜しくお願いします!
ボルダリング日記と共に、ボルダリング系記事(替え歌がすでに二つできた状態でストップ)もボチボチ書いていきます!
民明書房も、れいにーが飽きるまで続けていくので期待せずによろしくお願いします!
そしてお気楽民明書房ラジオ、「羽園先生の語源すごいぜ!」 (バックナンバー)も!実はリクエスト受け付けてます!誰からも来ないけど!
あと塩原温泉郷をよろしく!(また秋に記事書きます)