ユニバーサルデザイン編集長ブログ 川床優
武相荘には、もう3回訪れた。いつ行っても気持ちが良い。僕のとっておきのUDスポットだ。
武相荘とは、武蔵と相模の国境いに位置することから、無愛想をもじって名付けられた。
白洲次郎・正子夫妻が、ここ東京郊外の鶴川村(現、町田市能ヶ谷町)に移り住んだのは、太平洋戦争の敗色が濃くなった昭和18年5月のことだ。次郎41歳、正子33歳。次郎はここで終戦までもっぱら農業にいそしんだ。

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敗戦の年の12月、次郎は吉田茂外相に請われて終戦連絡中央事務局参与に就任した。そこで彼が、GHQを相手に激しい折衝を繰り広げたことは広く知られている。
「六十年近く一度も引越しもせず、幸か不幸か生来のよりよくする以外現状を変えたくない、前だけ見て暮したいという母親の性格のせいか武相荘は、それを取りまく環境を含めほとんど変っておりません」と語るのは、夫妻の娘さんの牧山桂子さんだ。
桂子さんは、この素晴らしい空間をより多くの人々に味わってほしいと、2001年10月に「旧白洲邸・武相荘」としてオープンさせた。

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茅葺き屋根の母屋や、ギャラリーのある離れの建物のまわりに広がる庭や園路には、四季を通じて可憐な花々が咲きみだれ、木立を爽やかな風が吹き抜けていく。静かに流れる時間の中に、夫妻のおだやかな日々が偲ばれる。
ところで、母屋の居間に僕のお気に入りの一点がある。キャスターが付いた木製のサイドテーブル。次郎が自分で作った家具の一つである。その素朴で端正なデザインが、次郎の繊細な感性と細心の指先を彷彿させる。訪れる方は、ぜひこの可愛い作品を探して見ていただきたい。

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1985(昭和60)年、次郎83歳・正子75歳の秋、夫妻としてはめずらしく二人旅に出る。軽井沢、そして伊賀から京都への旅である。そして、旅から帰って2日目に次郎は体調を崩し入院、さらに2日後の11月28日に息を引き取った。
かねて正子が書かせていた次郎の遺言は「葬式無用 戒名不用」の二行だけだった。
それから13年後、88歳まで生きた正子も、葬式はせず、戒名もなかったそうである。

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京都駅から烏丸通を数分行くと、左手に東本願寺の御影堂門がある。門をくぐれば正面が御影堂、そしてすぐ右手が参拝接待所である。その脇の潜り戸を抜けたところに、建築家・高松伸氏の設計になる「真宗本廟視聴覚ホール」がある。といっても、そこには「建物」は無い。その接待所と大寝殿にかこまれた中庭には、未確認飛行物体が土の中からその頂部を覗かせているような、金属と強化硝子の巨大な円形の天蓋が横たわっているのみである。
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東本願寺には、全国から膨大な数の老若男女が参拝に訪れる。それらの人々を接待し、くつろいでもらうには広大な空間が必要だ。しかし、御影堂を中心に阿弥陀堂、大寝殿を中心とする境内の壮麗な伽藍配置に、割り込むように現代建築を建てるのはいかにも無粋である。
そこで考えられたのが、すべてを地下に埋めた大空間であった。
それは、地上の天蓋からは想像もつかないような、勇壮な地中の大伽藍である。

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車いす専用のエレベータや床暖房などの細かい配慮はもちろんだが、なにより圧巻なのは、巨大なスロープである。幅の広いゆるやかなスロープがメインの動線となって、訪れる人々を異次元の空間へといざなう。

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はじめから階段をつくらないこと、その一つだけをとっても、この空間はまさにユニバーサル・スペースだが、それにもまして、地上に「造らない」という発想が、ユニバーサルデザインの一つの在り方を明確に表現していると言える。

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京都を訪れると、時間の許す限り必ずといってよいほど立ち寄る場所がある。
「河井寛次郎記念館」である。べつに焼き物に詳しいわけでもないし、河合の作品を見ても「ふーん」と、わかったような、わからないような顔で眺めているだけなのだが。
僕が気に入っているのは、その館の空間全体である。
中庭を囲んで、母屋、ギャラリーになっている回廊、仕事場と一番奥の登りがま、そして一番好きなのが母屋の二階の座敷である。ほかにお客がいないときは、ここで肘枕で窓外を眺める。これが最高なのである。
真夏の京都の暑さは有名だが、この建物に冷房はない。巧妙にデザインされた間取りや吹き抜けを、ゆるやかに風が通り抜けて、ウソのように涼しい。
この館に一匹の老猫がいる。三か月ほど前にも会ってきた。といっても、奴は縁側で僕などには目もくれずに寝入っていた。いつも寝ている。もうかなりの高齢だから、また会えるとは限らないが、奴がこの館の空間と一体になっているのが、いつもうらやましい。


もう一匹、紹介しよう。こちらはイタリア人である。
真冬のフィレンツェは低い雲がたれこめていた。
ピッティ宮殿の中庭の正面にある水鉢で、奴は観光客などには目もくれずに、悠然とのどを潤している。こいつも巨大な宮殿と一体化しているなあ。うらやましい。

土と木にかこまれて暮らす奴、石だらけの空間を闊歩する奴、
どちらもいい歳のとり方をしている。
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長崎は坂の町である。
無数にある丘をよじ登るように狭い石段がくねくねと続く。足もとを見ながら登り続けて、ため息をついて一休み。振り返ると眼下に町と入り江が箱庭のように広がっている。
まるで急峻な登山のような地形を、お年寄りはどうやって移動するのだろう。
急斜面を移動する手段として有名なのが、グラバー園の「斜行エレベーター」である。
丘の麓の「駅」と頂上をシリンダー状の斜路でつないで、その中をボックス型のエレベーターが斜めに上り下りする。かなり大掛かりな装置である。

これは有名だが、もう一つ長崎にはユニークな乗り物があると噂に聞いたことがあった。地元の人に聞いて探し当てた。
なんとそれは一人乗りのゴンドラだった。公衆電話ほどのボックスのなかには椅子が一つ。カードを入れると使える。このゴンドラを鉄骨のレールに吊り下げて斜面を移動する。曲がりくねった急階段の上に、恐竜の背骨のような鉄のレールがうねるように続いている。そこをボックスはしずしずと移動していく。
写真のボックスはドアがないから、雨の日はちょっとつらいかもしれないが、階段を登ることを思えば、まるで天国だ。
しかし、この町の昔のお年寄りはどうしていたのだろうか。ユニバーサルデザイン編集長ブログ 川床優-斜行エレベータ
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PENに書いた「倉俣史朗のこと」

雑誌の「PEN」が、デザイナーの倉俣史朗さんの大特集を組んだ。
そこで僕は、巻頭に倉俣さんのことを書きました。雑誌にデザインのことを書くのはとても久しぶりです。倉俣さんが亡くなって、もう17年にもなるんですね。
僕が初めて倉俣さんに会ったのは、もう33年も前のこと。僕が25才で、倉俣さんは40才でした。倉俣さんは、編集者に成りたての僕に、アトリエの冷蔵庫から冷たいビールを出してくれました。そして時々飲みにも誘ってくれました。

六本木に「BALCON」というバーがありました。インテリアデザインは内田繁さん。若手のデザイナーたちが夜な夜な集まってきてはデザイン論を戦わせていた梁山泊のような場所。倉俣さんとも時々待ち合わせをした。
あのころの熱気はいったい何だったのだろう。若手の連中は皆、目を輝かせて必死でデザインのことを考えていた。デザインがもっとも熱い時代だった。
今はBALCONも熱気も見る影もないけど、あのころの連中のなかにはいまだにあの炎が燃え続けているにちがいない。あのBALCONの巨大なロウソクの火のように。

「PEN」に何を書いたかというと、僕が倉俣さんから何を受け取ったかということ。そして、それの意味するものは何かということ。
それは、倉俣のデザインが持つ「無垢な感動」と、それを時間を超えて持続させる「オーラ」だ。
「PEN」から一部引用する。

……クラマタがそこに込めようとしているものは何なのか。僕にはそれは、モノや素材にまとわりついている古い殻を破って「自由」を与えること、そして新しく生まれるモノに、これまでにない「オーラ」を授けることではなかったかと思われる。
ある時はユーモラスに、ある時は張りつめた緊張感に満ちて、そしてある時は夢のなかを漂うように、クラマタの少年のような好奇心や冒険心は、まるで生き物を愛でるようにモノたちと戯れながら、その解体と新生の作業に没頭し続けていたように僕には見えるのだ。
 クラマタによってモノたちに与えられたオーラは、それを見る人の心のなかに忍び込み、やがて静かにに鼓動をはじめる。そしてそれは、長い時を経てもいつでも鮮烈によみがえることができる「何か」へと成長するのだ。……

……ところで、一人の作家のある作品がもつオーラは、他者にどのように伝わっていくのだろうか。そう考えていると一つの論文を思い出した。それを文学という世界で追求したものだ。
僕はそれをクラマタと重ね合わせながら読み直すうちに、ある不思議な共通点に気づいた。その論文とは「還元的感化」論。あの夏目漱石が百年前に書いた作品と読者に関する考察である。
 漱石は、たとえばある一つの小説作品を読んだ人の心に何が起こるのか、つまりどんな還元作用が起こるのかと考えた。一度きりで忘れてしまう読者もいれば、ベストセラーになることもある。
そこで漱石が論究したかったのは、自分の作品が読者の心にどのような「感化」を与え、それがどれほど深く、どれほど持続するかという点にあった。
結論だけ言えば、漱石は百年持続する「感化」を与えることのできる作品をめざす、と断言しているのである。そしてまさに百年後の今日、それは実現している。僕はクラマタの感化もそうなると、実は確信している。……

……この「還元的感化」の構造は、あらゆる創造行為に共通すると僕は思う。今、クラマタが残してくれた感化は、僕のなかで時間と共に着実に成長を続けている。そしてクラマタが世界に発信した感化の総体は、さらに増殖し続けることだろう。それは私たちのいる現代を超えて、はるかな未来へと広がっている。そしてクラマタの創造は、デザインによる感動という永遠のテーマを私たちに問いかけている。……

ところで、六本木にできたギャラリー「夢のカタチ」には、連日若者たちが訪れて来るという。彼らの目に映る倉俣の新鮮さと、今若者が漱石を読む感動とは、実は同質のものなのだ。

山田脩二さんの写真展に行く

「キッチリと、カメラマンをやりました」という案内をいただいて、山田さんの展覧会に出掛けた。所は新宿コニカミノルタプラザ。
カンボジアの集落を山田脩二が激写! ワクワクする。
久しぶりの新宿は快晴の日曜日で、めまいがするほどの人の波。
会場にはいると、ピーンと張りつめた心地よい静寂。
しかも運のいいことに、そこには山田脩二さんの姿が。
「おー、来たか」
作務衣姿の山田さんが笑う。笑うと目がシワになる。来年は古稀だ。

「カメラマンからカワラマンへ」42才で山田さんは転身し周りを驚かせた。
写真家から瓦師へ。
2006年に兵庫県立美術館で開催された山田さんの大展覧会は、写真・瓦・炭による画期的な造形展だった。
「写真を焼き、瓦を焼き、炭を焼く」と笑う山田さん。
「奥さんはずーっと手を焼いてる」と僕。
昨年は、淡路瓦師としての斬新な創作活動を評価され、岐阜県の織部賞を受賞した。

今、山田さんが小さな目を輝かせるのは「だるま窯」。
薪で瓦を焼く口伝の伝統窯を地元の人たちと復活させたらしい。
山田さんの、この不滅のエネルギーは一体どこから来るのか?
もちろん酒である。

山田脩二は、僕の酒道の師、すなわち人生の師である。
師よ! また淡路のとびきりの魚と酒を、たっぷりご伝授くださりませ。
三拝九拝。

山田脩二
平沢豊さんに「編集」の話しを聴いた

平沢豊さんは、僕が最も敬愛する編集者で、古い飲み仲間です。
彼は、マガジンハウス社で「アンアン」「エルジャポン」「ブルータス」「ターザン」などの編集長を歴任した凄腕の編集者です。

写真はプロ級で、いつもライカを持ち歩いてます。2004年の暮れには「東大全共闘」という写真集を出して、展覧会も開きました。同書は、彼が東大在学中に撮り続けた当時の情況の記録です。

その平沢さんに、我が社の編集スタッフにむけて仕事論を語ってもらいました。僕自身も、あらためて彼の考え方を聴きながら、刺激されたり反省したりしました。

我が社のスタッフからは、企画の立て方や打ち合わせのスタイル、仕事の進め方など、具体的な質問が相次ぎました。それに、一つひとつていねいに答える語り口に、平沢さんらしさがにじみでていて、とてもいい雰囲気のミーティングになりました。

若い編集スタッフたちは、僕のもくろみ以上に、平沢さんからいろんな刺激を受け止めたようです。
編集者と一口で言っても、そのジャンルや媒体は千差万別ですし、仕事の手法も人それぞれです。
しいて共通点を上げるなら、それは人と出会うことを仕事にしていることでしょう。

僕自身も、多くの人々と出会い、それを糧にして仕事をしてきました。
できることなら、僕自身が人にとって意義のある情報源でありたいと思っています。
平沢さん、今回はありがとう。
そしてまた近いうちに、とことん飲みましょう。

横尾忠則さんのアトリエには30年前に一度だけ取材で伺ったことがある。アトリエがまだ出来たてのころだった。新米編集者でドキドキだったから、何を話したかも覚えていない。たぶんボーっとしてうなずいてただけだと思う。


久しぶりのアトリエは渋みがでて心地よかった。驚いたのは、横尾さんが若々しくて、全然変わっていなかったことだ。横尾さんは「花粉症になっちゃったかもしれない」と言いながら、静かに、とつとつとインタビューにこたえてくださった。


今の世の中はほんとにおかしくなってる、という話になった。
「円が高くなろうが安くなろうが、そんなことどうでもいいじゃないですか。それより、自分の肉体と魂がいつ、どう一致するのか、ということの方がよっぽど大問題でね」と横尾さん。


僕は、30年前、横尾さんに会う直前にインドをあちこち巡っていた時のことを思い出していた。横尾さんはつづける。
「自分がどういう人間なのかという、自分を哲学するところから、自分を変えることが最も重要な課題じゃないんでしょうかね」。


「世界を変えたいと思うんなら、まず自分を変えることから出発するしかないように思う。何のために芸術があるのか、考えてもらいたいですよね」。
陶然とした心地で、横尾さんの話を聴きながら、僕は自分を哲学できているのか、自分を変えてこれたのだろうか、そして、自分とはいったい何なのかと、またボーっと考えていたのでした。


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 ユニバーサルデザイン誌では、毎号一つの自治体を取り上げ「自治体フォーラム」という特集を組んでいます。次に発売する号は「愛媛県」です。本誌の編集発行人である梶本久夫は、実は愛媛県八幡浜の出身で、この特集にはことのほか力が入っています。そのおかげで、編集部はてんてこまい。




 愛媛にはこんなに豊かな風土と、面白い人たちがいるのかと、取材を通じて感動の嵐でした。ユニークな加戸県知事さんをはじめ、四国の愛媛という恵まれた自然の中で、農林水産から今治のタオルや、世界レベルのバイオ研究者や、日本一の造船業まで、さまざまな「生きている愛媛人」の迫力に圧倒されました。




 日本はすてたもんじゃない。まだまだ大丈夫だ。地方の取材を通していつも教えられます。この国に自信を持って付き合っていきたいな、と思います。
 ユニバーサルデザイン26号には、そんなパワーが満載です。


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UD探偵団/FILE No.002

「UD仮囲いシリーズ」


街でよく見かける、建築中や改修中の建物を覆っている仮囲い。ちょっと前までは、○○建設とか書かれた味も素っ気もないものがほとんどでした。
それが最近では、パネルに本物の植物を植える壁面緑化や、地域の子どもたちの描いた絵をかざるフェンス・ギャラリーや、その場所の昔の景色の写真をかざるアーカイブ・フォト・ギャラリーなど、ずいぶん景観を意識した仮囲いが増えてきましたね。
中には結構凝ったものもあって、前を通るとホッとしたりニンマリしたりします。
そこで今回の探偵ファイルは、ヨーロッパで見つけたUD(ユニバーサルデザイン)仮囲いシリーズの第一弾です。
一つ目は、おなじみのロンドンのセントポール寺院。テムズ川に面した壁面の改修工事をしていました。テムズの対岸にはテイト・モダン・ミュージアムがあって、新しい橋が架かっています。橋から見ると、仮囲いは景色に溶けこんで、全然違和感はありません。
ぼくも含めて、一生に何度かしかセントポールを見ない人々にとって、ほんとうはこういうファサードですよ、と見せてくれるだけでも、ずいぶん印象が違うものです。
だまし絵(トロンプルイユ)の歴史が長い、ヨーロッパらしい気遣いですね。


セントポール


二つ目は、フィレンツェのピッティ宮殿(パラティーナ美術館)の正面外壁です。右側の部分が仮囲いです。


ピッティ


三つ目は、同じくフィレンツェのドゥオモ広場に面した商業ビルです。二面のファサードを改修中でした。

広場1  

世界中からフィレンツェを訪れる人が何度も通過する場所だけに、無数の視線に対する配慮は大変重要です。
さらにここは、ドゥオモのクーポラやジョットの鐘楼から見下ろせる場所だけに、上からの視線にも配慮が必要なのです。


広場2


どれが仮囲いの建物かわかりますか?
これらの仮囲いは、いずれも分厚い布にペインティングされたものです。ずいぶん手間がかかるだろうな、と思いました。そして、そのやさしい気遣いに感謝しました。
街の景観も、ちょっとした気遣いや工夫で、おおきなやさしさや気持ちよさを、たくさんの人々に与えることができることがわかります。
ぜひみなさんも、そんな事例を探してみて下さい。


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