言葉が与える印象は

同じ意味でも違う

 

 

 教員時代では子どもに接するときや授業中だけでなく、保護者対応でも『言葉』(言葉遣いともいいましょうか)には気をつけてきました。なぜなら、言葉一つ彼・彼女らの信用度や与える印象、意味の履き違い、無用の衝突などが生じるからです。

 

例えば、

小6と話しているときや同僚と話しているときを視ていた子が「おかあさんといっしょだ!僕と話しているときと違う!」なんてことがざらにあるわけですからね。子どもはよく見ていますよ。

 

 多分、こういったことを家に帰ったら、親に言うんでしょうね(笑)

 教員当初は何事もなかったのですが、やはりここ数年で、このちょっとした隙でも、クレーム対象になるようになったんですよね。残念ながら。

 昔は大丈夫だった声掛けも、指導方法も、保護者対応も、今は全然ダメってことも往々にしてあります。まー、教員同士であっても同じことがいえるでしょうがね。

 

 だから、教員が発する言葉・報告には何重にもオブラートがかかっています。成績表をもらったら、その発言も成績内容もかなーり薄めていますので、覚えてくださいね?

 

 一度親に対して、子どもの様子や実態、成績「表」について、本音を言ったことがありますが、これでもかってくらいに管理職と校長に怒られましたからね。

 「その親が怒って問い詰められたり、学校に対して信頼を失ったりしたら、どう責任を取るんだ!?」みたいな。 

 

 当時教員なり立てのころです。

 右も左も分からない。教員の暗黙の了解なんて知りもしない時代だからこそ、できた対応だったし、それまでに親子ともども信頼関係があったからできたのでしょうね。

 その親はある意味満足と言いますか、「(ちゃんと)言ってくれてありがとう」「(自分の子どものに対して)お前、ちゃんとせいよな!」と怒っていましたがね。

 

 新人時代では、この【言葉】の与える印象について、大変苦労させられました。次回はそれについて書いていきたいと思います。

 

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