不登校の引き金
不登校になる要因は多種多様にあり、「これが原因なんだから、これを辞めさせよう」みたいに原因特定なんてできないです。
【金】【性】【暴力】といったあからさまな原因もありますが、基本的には特定できないし、何よりも本人すら自覚していないケースもままあるわけで。
学校・友人関係・授業・家庭環境・趣味・惰性・昼夜逆転・流行り…
いくつもの要因が複雑に絡まり、混ざり、経年劣化していき、何かの拍子で爆発する。だから、専門家や大学教授などの権威ある方々ですら、解決方法はバラバラでふわっとした答えが多いと思います。
そのため、メディアや記事などの【原因】断定するような記述を見ていると、浅いなーとしか思えないですよね。
確かに、きっかけとなったのが教員の【何気ない一言】だったり、指導の方法だったりすることもありますが、あくまでもそれはきっかけでしかない。
「夏休み楽しかった?」「休みの日何してた?」が不登校の理由とされたら、教員といいますか、周囲の人間といいますか、もー子どもに対して何も言えないじゃないですか…。
小学生であれば、
「ゲームしてた!」→「そうか!何のゲームが流行っているの?教えて」
「習い事に行ってた!」→「ほー!今度観に行くよ!」
という風に児童関係構築や児童理解もできなくなるわけで。
起きた事象ばかりに焦点を当てて、騒いでいるうちは、その子自身や現象の本質には届かないし、解明もできないでしょう。
ただし、教員や子どもに関わる職に就く人には肝に銘じておかなければならないこともあります。【何気ない一言】や【日常】が積み重ねって爆発することもありえますから、子どもの家庭環境や地域性も配慮する必要があります。
例えば、何かしらの理由でひとり親家庭になった場合。
習い事や体験活動、遊び、休日の過ごし方など、大きく変化しているでしょうし、子どものメンタルもかなり荒んでいたり、我慢していたり…子どもなりに複雑な気持ちや考えがあることくらい、少し考えれば分かりますよね?
過去に、道徳科の授業で大クレームとなり、職員間でも大批判を受けたことがありますから、本当に注意しましょう!
私に言わせると、サレ親といいますか、何の非もない親であれば、寂しい思いをさせても、衣食住を子へ与えているだけで十分です。(子どもに当たり散らす親、自身で招いた【不倫】親は論外ですし、子どもをアクセサリー感覚でいる親なんてもってのほか)
自身の傷心や環境の変化、心労を我慢して、叫びたい・逃げたいのを我慢して、「ひとり親だからといって、貧しい思いはさせたくない」と子どものために働き、子育てしているのであれば、【親の都合を押し付けた】ってあまりご自身を責めないでほしいです。
あなたは、他責的な親や親の責任・役目を丸投げしている親よりも、素晴らしく尊敬します。
ただ、一人で抱え込まず、可能であればご自身の家族や親せき、もしくは福祉施設・制度をご活用願いたいです。
ここから教員や支援員にとって、耳が痛いことを言います。
指導後に不登校や行き渋りが生じた場合、子ども自身や親に問題があると他責思考せず、自分の指導方法や威圧性、アンガーマネジメントなど自問自答するとともに、【客観的に】どうだったのかを突き詰める必要があります。
なぜなら、主観的な批評の場合、絶対に保守的保身的な解にしかならないわけで。
【行き過ぎた】指導かどうかは、客観性が重要なのです。
ここで、立ち止まり客観的に考えないと、今後同じような事案が発生し続け、不登校を大量生産するわけですから。それに、普段から親が子の責任から逃げるな!と言ってきた教員ほど、自分の指導の責任や結果から逃げてはならないのですから。
我が子を、人格否定や言葉でココロを殺された親にとって、一生恨む内容なわけで。
(当時、不登校傾向や特別支援をしていたときに出した学級通信です)
(上が子ども用、下が保護者用)