ありきたりの平和…
 79年前、広島に原子爆弾が投下されました。その数日後には長崎へも…。
 そして、79年前の今日に、日本国が無条件降伏…

 
 まさに、筆舌に尽くしがたい苦痛と苦難の歴史を、広島・長崎では経験されたことでしょう。
 あらためて、追悼の意を表したいと思います。


 唯一の被爆国として、原爆の恐怖と、そして廃絶を心から願っていながらも、一方で我が国は、父親役でもある大国アメリカの核の傘のもとに平和を享受している、という矛盾を孕む関係にあるわけです。

 

 我が国は、憲法9条を持ち出すまでもなく、軍という名の戦力を持たず、他国を攻めない、平和主義を掲げる国ですが、日米軍事同盟によるアメリカの核の傘のもと、我が国は自らが武力行使しなくとも済む環境での、「いつわりの平和」の恩恵を受け続けているわけです。

 いつわりの平和でありながらも、平和であることがありきたりのことになっていることに危機感を覚えるのは、私だけではないはずです。

 

 正直、教員時代には受け持つ子どもには戦中教育といいますか、戦場へ送るようなことはしたくないと、思っていましたね。当時はやや小バカにされていましたが、退職する前には、2022年のウクライナ戦争やアフガニスタン、シリア…日本とは遠い国々は未だ紛争をしているのですから。

 日本がこれからも平和でいられる保証はないと思っていましたわけです。

 

 だから、教えるからには戦争や戦中・後生活のことを文献を読んだり、戦後の生活を取材したりしていましたね。ただ教科書を読む【だけ】の授業なんて、子どもよりも自分が面白くないですから。

 授業者が面白くない内容なんて、子どもはもっと面白くないですし、爆睡授業でしかないですよ。

 

 今年、教員を目指した方々には、そこまでやれとはいいません。

 が、すくなくても『大東亜戦争』とは何なのか?くらい考えてほしいですし、一度くらい『二十四の瞳』を鑑賞してほしいと思います。

 

 残り少ない夏休みです。

 有意義に過ごしましょう!

  赤紙