今回、3.11と今後の学校教育、教師の生き方と考えて。

 私自身、現役時代に震災時の行動について、震災後の裁判事例をもとに考えていました。8年前の内容ですが、改めて考えてほしいと思い、アップします。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 仙台地裁は、地震後の避難で大川学校側に過失があったと認定し、約14億円の支払いを市と県に命じる判決を下しました。
 争点は、教師らが大川小学校まで津波が来ることを予見できたか、という点。
 そして、裏山に避難すべきではなかったか、という回避義務の2点です。

 地裁の高宮健二裁判長は、「津波が襲ってくる7分前の遅くとも午後3時半ごろまでには石巻市の広報車が津波が松林を越えて避難を呼びかけたのを教員らは聞いていたと認められ、小学校に津波が到達することを予測できた」と指摘しました。その上で「教員らが校庭からの移動先として目指した川沿いの交差点の標高は7メートル余りしかなく、避難場所としては不適当だった」として、被害を避けられる可能性が高かった近くの裏山に避難させなかったのは過失だと結論づけました。

 以前も書きましたが、逃げたくなるのも堪えて子どもを避難・誘導していた教職員に過失を求めるのは少しいきすぎているのでは・・・と思ってしまいます。また、 「学校・先生を断罪!!」「先生の言うことを聞いていたのに!!」という旗出しをした原告らも、その発言も、報道も、まるで教師らが悪者扱いなわけで、個人である教師が断罪されるなんてお門違いにも甚だしい。

 教職員といえど、人間ですし、雇われの身ですから、自分の子ならまだしも赤の他人の子どもよりも自分の命を、と本来なら逃げているものを必死に耐え10人の教職員が殉じているわけですからそれに、その教職員も被害者であるとともに、親や子ども、パートナーの遺族が存在するのですから。

 本件のように、教師らに責任を求めるのならば、保護者にもある程度の責任と今までの言動についてを反省しなければならないと考えています。
 どうでもいいことや良かれと思ってしたことに対して、クレームや難癖をつけ続けた結果、学校・教師らの行動・独自の裁量を委縮させ、何をするにもビクビクと怯えさせ上からの指示がないと何もできなくさせたのですから。

 今回は悲惨な結果となりましたが、
 仮に1年生から6年生までの児童全員が、一斉に裏山へ駆け出し、その結果、何人かが転倒し骨折。また先に登った児童が滑り落ち将棋倒しのようになり、下にいた低学年の児童1人が意識不明の重態。しかし、津波は北上川を遡上したものの、大川小学校まで来ることがなかった・・・と、しましょう。

 「これまで一度も小学校まで水は来なかったのに、なぜ、危険を冒してまでも裏山に逃げたのか・・・?」
 「ハザードマップでも、小学校は浸水エリア外なのに、なぜ、傾斜のある裏山に登らせたのか・・・?」

 という批判は必ずあがるでしょう。

 

 そして、2019年最高裁第1小法廷(山口厚裁判長)は、市と県の上告を退ける決定。震災前の学校の防災体制に不備があったとして、市と県に約14億3600万円の支払いを命じた二審・仙台高裁判決が確定したわけです。

 確かに、結果から考えてみますと、幼い子どもはこれまでに見たことのない真っ黒い塊が正面からものすごい勢いで襲いかかってくるのを最後に見て、それからは目をつぶったまま、凍るほどの冷たい泥水にもまれて亡くなったわけです。溺死ではなく、その多くが内臓破裂だったと考えられますから、遺体となったわが子を見つけたときの保護者の嘆きは想像を絶します。

 しかし、教師らにしても、まさか海から4キロも離れたこの小学校まで津波が来て、ましてや自分たち大人のほとんどが亡くなるほどの水が渦を巻いて襲ってくること等、考えもしなかったんだと思います。

 責める相手を、悪者をつくりたくなる気持ちは分かりますが、これはダメですね。

 

白波

 

 

 

【らでぃっしゅぼーや】有機野菜・無添加食品の宅配ネットスーパー