前回の上げた件も2014年の4月だったので、来年で10年ですか…。この10年で一体何が変わったのかが大切なのですが、正直なところは…。この話を知らない世代もいれば、ご存じない教師のみなさんもいらっしゃるでしょう。

 ぜひ、こういったわが子の節目に、出席できない(してはいけない)教師のみなさんを批判ではなく、応援してほしいものですね。

 

 下記に、以前違うブログであげたものを載せたいと思います。

 

 ある県の50代女性の高校教員が、自らの子どもの高校入学式出席のため、勤務している高校の入学式を欠席するという事件が起こったようです。

 事件とまで言っていいものかどうか、迷いましたが、事件としましょう。

 この件で、ネット等では賛否両論が展開されています。その高校を管轄する教育長は、「担任がいないことに気づいた新入生や保護者からの心配や不安を考慮し、生徒が安心して高校生活をスタートできる体制づくりと心配りに努めてほしい」という異例の注意があったようです。

 この先生は、1年生の担任なわけです。となると、責任は重大・・・。

 この2月末に、宮城県石巻市の大川小学校での事故報告書「大川小学校事故検証報告書」が出され、これを受けて、3月に大川小学校で自らの子どもを亡くした遺族が石巻市と宮城県を相手どって23億円の損害賠償を起こすまでに到っているわけです。
 「事故検証報告書」を丁寧に読み、高齢者施設の場合との相違点をここのところずっと考えているわけですが、「学校として、そして教員として、子どもを守る義務(責務)がどこまであったのか・・・?」を考え続けています。学校として教員としての職務との関係で、どう見るべきなのか・・・、ということです。

 自分の子どもの入学式のために、勤め先で1年生の担任である教員が休んだことと比較すると、事の重要性はまったく違いますが、プライベートな事情、という一言では片づけられない、しっくりしない何かを感じるわけです。
 仕事として、また教職に就く者として、そして人として・・・。

 少なくとも、その学年の保護者は「この教員に自分の子どもの担任を任せるわけにはいかない」と、ハッキリ位置づけられたでしょうが。

 「今の教員は教え子より息子の入学式が大切なのか」や「自分の子どもよりも生徒を第一にするべき」、また尾木ママこと尾木直樹氏も、同様に批判していましたが、私個人としては、その程度の内容で大騒ぎすることか?と感じますね。そりゃー、入学式に担任がいないというのは生徒本人からすると、多少不安にもなるでしょう。

 ですが、高校生にもなって、自身の担任が誰なのか分からないからといって、不安で泣き出す年齢ではないですし、どうすればいいのかすら分からないほどのバカでもないでしょう。

 それに、教師といえど、あくまでも人間です。
 見ず知らずの他人の子どもよりも自分の子どもを大切に想うのは当たり前のことであり、 1番大切にするものを大切に出来ない人に果たして他人を指導できるのでしょうか。

 また、いまだに教師を聖職者扱いする傾向は根強いですが、教師も一介の労働者に過ぎません。授業が始まれば、日々の教材研究だけでなく、各行事の打ち合わせや土日の部活顧問、研修、勉強会、保護者対応(主に、モンペ)・・・等、身も心も休まる時はほとんどありません。

 第一、学校の規定でも学校長の許可ももらって、休暇が取れたのですから、なんら問題ないと思います。仮に、入学式当日が特別なものとするのであれば、その日を休みがとれない日にするべきこと。その女性教員は、お詫びのメッセージを出したのですから、誠実な人とほめられてもいいのでは・・・。

 極端な話、児童・生徒が校外でヤクや援交、悪さをしようと、知ったことではないだろうし、悪いことだと知りながらやった本人の問題であり、全て自己責任だと考えています。

 都合のいい時だけ、「外国の学校では~」とのたまいますが、外国では生徒の全ての行動が自己責任であり、教員は授業以外まったくといっていいほどにノータッチであり、校外ましてや時間外の問題は自身の職務ではないと、言い切ります。

 それに比べれば、日本の教育・教員はなんとも優しく、手厚いことでしょうか。どうでもいいことでも、耳を傾け、教員が出向き、頭を下げるのですから。