ウィキリークスが流した、
米兵がイラクの一般市民を撃ち殺す映像について、
ヒラリー・クリントンはそれを国家機密と言い、
それらを公表する行為は関係者に危険を招き、
国家を脅かすものであり、断じて許せないと言うが、
その理屈は果たして正しいだろうか?
菅内閣が尖閣の映像を国家機密と言った時はさすがに笑ったが、
ウィキリークスが流した映像では一般市民が殺されている。
事の重大さに、これは国家機密ではと錯覚しそうになるが、
実は尖閣の映像と同じく国家機密でもなんでもないと言える。
戦争の原則は、
兵士同士の戦闘であり、
決して一般市民を殺してはいけない。
出来るとしてもせいぜい捕虜に取るくらいだ。
一般市民を死なせた場合は、
過失であろうと本来は許されない。
その場合、当事者である兵士はもちろん、
当事国としても最大の謝罪を行なうのが筋だろう。
民間人を殺した兵士を速やかに特定し、
例外なく殺人罪に問うと共に、国としても賠償をすべきである。
そのような姿勢を全く示さないままで、
「事実」を公表したウィキリークスを、
激しく糾弾するのはとんでもない間違いである。
機密と呼べるのは、
あらゆる可能性を考慮しながら行なわれる密談だけである。
密談の過程がすべて公表される事があってはならない。
なぜならば、それには想像と仮定の意見が含まれており、
極めて流動的であると同時に結論ではないからだ。
結論に至るまでのプロセス、すなわち枝葉の部分を公表してしまうと、
本来は無関係な誰かを傷付ける事になるし、必ず誤解が生じる。
しかし、起きてしまった事は事実であり、
事実は機密ではない。
事実を隠蔽するのは間違いであり、
もっと言えば事実を隠蔽しようと企てるだけで犯罪である。
起きてしまった事実を隠蔽するのは、
ウィキリークスの活動が無かったとしてもいずれ発覚するし、
当事者はすべてを知っている。
事実を隠蔽しようとする犯罪的な姿勢こそ糾弾されるべきである。
それらの事を考慮しないなら、
アメリカが行なっている戦争は戦争ではなく、
単なる人殺しと言うしかない。
ついでに気になるのが、日本のマスコミ報道で、
明らかに一般市民をゲーム感覚で銃撃し、
撃ち殺している映像を流しながら、
米兵の「誤射」による発砲で問題になっている映像について、
とアナウンスしていた。
どこが「誤射」だ、
呆れてものが言えない。