夕方、ニュースを見てたら「赤ちゃんポストに乳児遺体遺棄、31歳逮捕」という事件を取り上げてたのね。 もうさぁ、何でこんなことするかなぁ。 >数日前に自宅で産んだ男の子が死亡していた。かわいそうで、赤ちゃんポストに自分の車で運んだ と言うてるらしいんだけど、運ぶところが違うでしょうが。 まずは救急車や警察に連絡でしょ。 それが出来ないのなら、自分で最後までやりなさいよ。 「こうのとりのゆりかご」は、止むに止まれぬ事情で育てられない人達、赤ちゃんの命、最後の砦なわけじゃん? そこに遺体を運ぶか? いやいや、生きてるうちにお願いしろや。 善意でやってる人達に、どれだけ迷惑が掛かると思ってんのよ! ったく、どんだけアホなんだ。 私が腹が立つのはね、この女性、31歳にもなってるのよ。 これが10代の小娘ならしょうがないかもしれんけど、何で31歳にもなってこんなことするかなー。 こうなる前に、いろいろ方法はあったでしょうよ。 何をボーッと生きてんねん! って!あんた、人に言えるほどしっかり生きてんのかい!ってね。 確かに!私みたいに歳を取ってるってだけで、世の中のことを知らん世間知らずに言われたくないわなー。 さて、今日は夫、朝から伯父さんの四十九日の法事に出掛けておりました。 夫チチの兄弟は男性2人、女性2人がご存命でねー。 昔の夫チチの話や兄弟の失敗談なんかを聞いてると、そら面白いらしい。 今じゃ「それ犯罪じゃん」ってことも結構してたみたい。(笑 ↑具体的には言えないけど、もちろん窃盗や殺人じゃないよ。 叔母さん「今は細かいことに煩いから、犯罪になっちゃうけどね」 夫「ちゃうちゃう、それは昔から犯罪ですやーん」と突っ込んでたらしい。 ハハハ。 何だろうねぇ、こうやって集まれるのも、また誰かが亡くなったときなんでしょうねー。 1人欠け2人欠け、20年後には誰もいなくなる。 って!縁起でもない!? でもさぁ、子供の頃には親やおじさんおばさんが死ぬなんて、考えもしなかったでしょ? それが、極端な話、親は明日死んでもおかしくない年齢なんだよねー。 「そこもいつもいる」って思ってる人がいなくなって、そのときはものすごく寂しいんだけど、いつの間にか「いない」ことが自然になっていくでしょ? あれは何なんだろ? 私、パパがいなくなってから悲しくて寂しくて、実は今も引き摺ってて最期の話は未だに涙なしには話せないのね。 でもね、親戚の集まりとかで、いつもそこにいたはずのパパがいなくても、何の不自然さも感じないの。 こうやって人は、人の記憶から少しずつ消えていくんだろうか。 例えば、私のひいじいちゃん、顔も名前も知らないけど、ひいじいちゃんも私と同じように日々悩んだり笑ったりしながら生きていたんだよね? それなのにひいじいちゃんの存在なんて、日々考えたり思ったりもしない。 大抵の人は、こうやって記憶にも記録にも残らず消えていく。 そして、また新しい命が生まれ育ち、の繰り返しなんだね? そう考えると、人の一生なんてちっぽけなものね。 つい1分の1と考えがちだけど、所詮70何億分の1に過ぎない。 なーんて、年老いた親の集まりの話を聞いて、つらつらと考えてしまったわ。 そうそう。 富士宮の叔父さんがお土産に富士宮焼きそばをくれました。 ![]() ちと嬉しい。 キャベツの在庫がないので、今日は作れないのがざんねーん。 |
