氏名は使命を語っていた! | 我が学習の変遷の記録(旧・宇宙わくわく共創局)

氏名は使命を語っていた!


あなたはダジャレと言うとどんなことを思い浮かべますか。

「あー、語呂合わせね」
「親父ギャグ」
「単なる言葉遊び」

などのイメージが浮かぶかもしれません。しかし、私はそのイメージを根底から覆すイベントに参加しました。

先日、日本ダジャレ活用協会が主催するオンラインのワークショップに参加しました。このワークショップに参加したことによって、ダジャレは単なる語呂合わせでも、言葉遊びでもなく、実は人生の真髄にアクセスする技の1つであると言う確信を得ました。

「何を大げさな」と思われるかもしれませんが、それは否定できない事実となってしまったのです。

どういうことかというと、その時のワークショップのテーマは「氏名は使命」だったのですが、私たちは氏名にダジャレでアクセスすることによって、自分の使命を発見することができたのです。

簡単に方法をご紹介すると、まずは自分の名前をひらがなで表現します。そして、そのひらがなを並べ変えることによって、そこに様々な意味を見出して、自分のミッションを発見すると言うものでした。

例えば、私の名前は「のなかつねひろ」ですが、これを並べ変えると、「かつひろなのね」となります。ここにダジャレを使うと、「勝つヒーローなのね」と言うメッセージが見えてくるのです。

また、私の名前を「かつろのなひね」と並べ変えると、「活路のナビね」と言うメッセージが浮かび上がってくるのです。

これには驚きました。私は20年以上前、日本の東京の私立の学校で教員をしていたのですが、私が辞める時、生徒の1人が私に送ってくれた贈り物はマライアキャリーの「ヒーロー」を録音したテープだったのです。その歌のメッセージは、「あなたの中にヒーローがいる。そのヒーローを信じて生きて欲しい」というものでした。私は当時鬱だったので、自分の中に「ヒーロー」がいるなんて事は信じられなかったのですが、「自分の中にいるヒーロー」とは何だろうかと言う事は自分の中で長い間問い続けてきたことだったのです。

オーストラリアに来てから、様々な「ヒーロー」像が見え隠れしましたが、今回は「活路のナビ」というヒーローが出てきたのです。これは今日の世界中に広がる恐れの「閉塞状況」もさることながら、日々様々な「困難」をかかえる子供たちに接する教師として、「活路」を見出し、それに導く「ナビ」と言うのはとても重要な役目だと感じたのです。

「それは、あなたの名前がたまたまそういう風で、ラッキーだったんだよ」と言う声が聞こえてきそうですが、実際は違うんです。そのワークショップに参加された全ての方が、自分の氏名の中に使命を発見することができたのですから。

これは何か、ダヴィンチコードを解読したかのような大きな衝撃とともに、ワクワクが心の中に沸き起こりました。

さらに、このプロセスにおいて重要なステップがあります。それは、ひらがなの文字一つ一つを個別のカードに書き、それをテーブルの上でシャッフルしながら、そこに現れた言葉をどんどん20個から30個くらいメモ書きしていくことです。つまり、自分の名前といくらにらめっこして考えても、そこからは何も浮かんでこなかったりするのですが、自分の思考をオフにして、ただ子どものように無心に目の前にひらがなのカードをシャッフルすると、そこから様々な意味を持った言葉が浮かび上がってくるのです。

これは、私が学んでいるU理論にも通じるものだと思いました。U理論は、私たち一人ひとりの思考のレベルを超えて、今ここに立ち現れる「未来」の声に耳を傾けることをその1つの本質としていますが、このひらがなカードをシャッフルしてそこから立ち現れる意味を発見するプロセスが、正しく自分にとっての「未来」を発見することと同じことだと思ったのです。

別の言い方をすれば、カードをシャッフルするという身体感覚を媒介にして発見したメッセージを受け入れるという実に深いプロセスだったのです。身体は、私たちが思考でアクセスできない世界のメッセージを敏感に感じる媒体でもあります。私たちが体験する病気もこうした見えない世界からのメッセージと言う側面があります。

「そんなの偶然だよ。偶然に意味をこじつけているだけだよ」という声が聞こえてきそうですが、さきほども申し上げたように、このプロセスを体験された方々が皆さん何らかの使命を発見されていたのは否定できない事実です。

さらに言えば、このワークショップは、私たちが「偶然」として片付けてしまう出来事の中には、私たちの左脳的な論理的時系列的なロゴス的思考では捉え切れないメッセージが含まれており、過去も未来も今ここで同時に起きているとするレンマ的思考への道を開くアクティビティーだったのではないかとすら思うのです。

もっと言ってしまえば、天外司朗さんがおっしゃるように、私たちの見える世界は、見えない世界と地続きであり、見えない世界には、私たちがまだ知らない多くの情報が織り込まれているだけであり、そこの1つにアクセスするための1つの暗号が私たち自身の氏名であり、そこにアクセスする意外な方法がダジャレだったのかもしれません。

このように、私のダジャレのイメージを一変してしまったこのワークショップですが、今後も様々な形で開かれるようなので、心から楽しみにしています。

今、1つのダジャレ実験をしてみました。私のiPhoneのSiriを使って「ダジャレ」と言ってみたのです。すると、そこに表示されたのは「デジャブ(Déjà vu)」だったのです!  Siriが示してくれた最高のダジャレです! 皆さんもご存じのように、デジャブとは、行ったことがない場所にもかかわらず、以前来たことがあると言う感覚だと思います。

「ダジャレ」は、私たちは行った事がなくても、実は共に生きてきた「見えない世界」を思い出すための手段なのかもしれません。

ダジャレあなどりがたし。

オーストラリアより愛と感謝を込めて。
野中恒宏