「幸運(ラック)」は「楽苦(ラック)」と共にやってくる | 我が学習の変遷の記録(旧・宇宙わくわく共創局)

「幸運(ラック)」は「楽苦(ラック)」と共にやってくる

1日の終わりに、「今日はついてなかっなぁ」、あるいは、「今日はついてたなぁ」と思える瞬間はありませんか。また、1日の初めに「昨日はついてなかったなぁ」、あるいは「昨日はついてだなぁ」と思える瞬間はありますか。

日常生活の中で、そうした瞬間に出くわす事は誰でもよくあることだと思います。そして、周りを見渡すと、そういう幸運がたくさん訪れている人がいると感じて、嫉妬することもあるかもしれません。

そして、幸運というのは、何もしなくても、良いことがもたらされると思ってらっしゃる方もいらっしゃるかもしれません。

しかし、実際は、幸運と言うのは、何もしなくてももたらされると言う事はありえないのだと思います。言い方を変えると、人生の中でもたらされる、楽しいことと、苦しいことの両方を抱きしめて統合した時に起きるのではないかと思います。いってみれば「幸運」(luck)は「楽苦」(ラック)とともにもたらされるのではないかと思います。

通常、私たちは何かうれしくないことを体験したときに、「ついてないなぁ」と思います。しかし、人生は全てバランスでできていると言うことを思い出すとき、「ついてないなぁ」と思えることであっても、実際にはその同じ瞬間に正反対のサポートももたらされており、その両者を抱きしめる時、私たちは本当の幸運を体験することができます。

例えば、授業中に、私のことを強く拒絶している生徒がいる時、同時に私のことを強く受容している生徒がいることに気がつきます。教室と言うのは、そうした宇宙のバランスを体験することのできる小宇宙的な空間であるとも言えるでしょう。

宇宙は、365日24時間、世界中の至る所で例外なく試練と支援のバランスをもたらしています。私たちは通常、試練を体験したときに「ついてないなぁ」と感じ、支援を体験したときには「ついてるなぁ」と認識します。しかし、実際は、私たちの多くが気がついていないだけで、「ついてるなぁ」と思える出来事と「ついてないなぁ」と思える出来事は同時にもたらされており、その両者を統合して抱きしめることができると、私たちはそこに人生に含まれていた大きな愛を実感することができます。 

つまり、その意味で、「ついてるなぁ」と感じる出来事も、「ついてないなぁ」と感じる出来事も幻想であり、その本質は愛の出来事であると言うことです。この愛の出来事がどのような仕組みでもたらされているのかを、数式で表すことができないのかもしれませんが、事実であることには変わりありません。私はこの愛の出来事がもたらされていると言う意味での、真の幸運が誰にでももたらされているのだと思います。

それでは、この「ついてるなぁ」と感じる「楽」の出来事と、「ついてないなぁ」と感じる「苦」の出来事が統合された、「楽苦」(ラック)の愛の状態をもう少し詳しく見てみましょう。

まず、私たちが、「ついてるなぁ」と感じたり、「ついてないなぁ」と感じている状態と言うのは、過去の枠組みをダウンロードしている状態だと思います。自分のこれまで生きてきた人生の枠組みの中で、自分が今体験している事を認識しているため、それを楽しいが苦しいかで区分けしてしまう傾向があるわけです。

そこには、多くの決めつけや、レッテル張りが存在しています。そうすると、様々な感情が湧き出てきて、目の前が曇り、未来も見えない状態になります。

しかし、一旦そうした過去からのダウンロードを保留し、冷静に自分の体験を見つめ直します。冷静に見つめ直せないときは、自分の体験の中に含まれていた正反対の側面は何かというような問いかけをして、自分の体験の真の意味を浮かび上がらせます。ポジティブだと思える体験の中に含まれていたネガティブな側面、あるいは、ネガティブだと思える体験の中に含まれていたポジティブな側面を発見するのです。そして、自分の体験していたことが、ついている体験でもなく、あるいはついていない体験でもないニュートラルな体験だとわかった時、私たちはそこに言葉や論理を超えた愛を認識することができます。

その体験が深いものであるとき、私たちは、「自分が何者であるか」そして、「自分が人生で成す事は何か」ということが見えてきます。

このような体験は、いきなり訪れるものではないと思います。それこそ、何度も何度も内面を深く深く掘り下げることによって、それこそ、まるで「幸運」のように訪れるものだと言えるのかもしれません。私は、世界的な人間行動学の権威であるドクターディマティーニのメソッドを使って、この状態に至ることができました。人によっては、瞑想を繰り返すことによってこの状態に至る方もいらっしゃると思いますし、深く自然と結びつくことによってこの感覚を得ることができるかもしれませんし、あるいは人生の中で何らかの形の深い体験や人との出会いや別れの体験をしたときにこの状態に至る方もいらっしゃるかもしれません。

そして、「自分が何者であるのか」「人生で成す事は何か」という認識に基づいて、日々もたらされる「ついていること」「ついていないこと」を見つめ直す時、そこは全て愛が幸運にももたらされていると言うことに気がつくわけです。

このように深く人生の愛を実感した状態というのは、意識は「いまここ」ですが、実は、この「いまここ」を通じて、まだ体験していない未来ともつながった状態であるとも言えるでしょう。

先ほどご紹介したドクターディマティーニは、まだサーファーだった頃、瀕死の状態を体験し、それをきっかけとして人生のメンターとなるポールブラグ氏と出会い、自分の人生を内観し、その中に含まれていた愛を発見し、深く涙します。そして、その時、自分が将来世界中を飛び回り、多くの人々をインスパイアしている姿がクリアに見えたと言うのです。これはその時、ドクターディマティーニが未来とつながったということを示しているのだと思います。

ドクターディマティーニがこのような状態を体験できたのも、自分が「ついていないなぁ」と思えるような人生の様々な体験(学習障害時とレッテル張りをされたこと、ハワイで毒草を食べて瀕死の状態になったことなど)と、「ついてるなぁ」と思えるような事様々な体験(自分を無条件にサーファーとして生きることを認めてくれた両親、自分を瀕死の状態から救ってくれた通りがかりの女性、その結果であったホールプラグ氏との出会い)が統合されたからこそ、起きたとも言えると思います。つまり、ドクターディマティーニも、「楽苦(ラック)」の統合体験をしていたのだと思います。

これは、ドクターディマティーニだけでもたらされたことではなく、私たちひとりひとりにも独特の様々な形でもたらされていることです。しかし、私たちは忙しく騒々しい現代社会の中で生きているため、なかなかじっくり自分を内観し、そうした「楽」と「苦」を統合する機会がなかなかないのかもしれません。

いつか、ドクターディマティーニが言った言葉「宇宙はあなたのことを心から愛している」といったことを思い出します。

あなたも、宇宙からもたらされている「ついてること」と「ついていないこと」を統合して、「楽苦」な愛を体験してみませんか。宇宙はあなたが愛に気がつくのを待っています。それは、様々な形の体験かもしれませんが、その根っこでは愛につながっています。

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今日も読んでいただいて、ありがとうございました。

オーストラリアより愛と感謝を込めて。
野中恒宏

【参考文献】