遊び心のスイッチを入れて自分のカルチャーを創ってみよう | 我が学習の変遷の記録(旧・宇宙わくわく共創局)

遊び心のスイッチを入れて自分のカルチャーを創ってみよう

もうかれこれ17年間オーストラリアで生活していますが、最近はオーストラリアにいても日本にいたときの感覚とほとんど変わらない気持ちで生活しています。それは、和食が食べたければ和食レストランに行けるし、日本の食材もすぐに手に入るし、街を歩けば日本車がいっぱい走っているし、テレビをつけてもそこには日本のアニメが流れていたり、インターネットをつければ、日本の情報もすぐにリアルタイムでキャッチできるからです。

さらには、オーストラリア人であっても、日本文化を心から愛し、それを自分たちのソウルマインドとボディーを通じて、オーストラリアで再生産しようとする方が大勢いらっしゃるからです。例えば、日本の和太鼓にインスパイアされて自ら和太鼓ステージで披露する方もいらっしゃいますし、日本の格闘技にインスパイアされて、格闘技を習う方も格闘技を指導する方もいらっしゃいますし、また、日本のアニメーションにインスパイアされてアニメーションの道に進みそこで成功されてる方も大勢いらっしゃいます。

このように、日本文化は、時間や空間や文化や人を超えて様々な形で広がっているわけです。

もちろん日本文化だけでなく、イタリア文化やフランス文化やその他のアジアの文化もオーストラリアでは体験することができます。しかし、日本文化ほど大きな広がりを見せている文化は他にはないのではないでしょうか。もちろん、私が日本人だからそう感じると言う側面がある事は否めないでしょう。しかし、小学校段階から外国語を教えることが必須とされているこちらの公立学校において、日本語が1番人気であると言う事は単に日本との経済関係を重視する政策からだけでなく、日本文化が広く浸透していると言うことも大きな要因ではないかと思うのです。

では、なぜ日本文化はこれほどまでに海外に広がっているんでしょうか。

私は、そのことを考えるために、これまで日本文化がどのようにして生み出されてきたのかという点に着目したいと思います。端的に言えば、日本文化は初めから海外に広げようと言う動機を持って生み出されたものではないと言うことです。言い方を変えれば、日本文化は日本国内、自分の住んでいる地域、自分の周囲の人々、自分の家族、そして自分自身、と言うように、小さな領域に集中して結果生み出されたのではないかと思います。

どんな現実も文化芸能も、まずは出発点となる自分を磨くことなしには、それを人様に見せると言うことにはならないと思います。そして、自分磨きといっても、自分がやること成すこと全てに対して磨いていこうと言うことではなく、自分の興味関心があること、自分がしたいこと、自分ができることに焦点を当て、その領域を磨くことが重要ではなかったかと言うことです。言い方を変えれば、自分の最優先事項にどれだけ集中できたかが、その文化をより深いものにできるかどうかの分かれ目だったのではないかと思うわけです。

寿司にしても、格闘技にしても、落語にしても、自分個人レベルで、その技や技能を磨くことなしには、いずれも発展することはなかったでしょう。

そして、その自分で磨いた技能、他者に披露することで、そこから得られるフィードバックを元にして、さらに自分を磨くと言うサイクルを永遠と繰り返してきたからこそ、文化や芸能は発展してきたのではないかと思うわけです。もし、自分の技能を磨かずに、ただ相手にアウトプットすることだけに集中してきたとしたら、そのアウトプットの内容は発展することなく、いつまでも同じところぐるぐる回っていたことでしょう。

そうではなくて、自分の最優先事項、言い方を変えれば自分の影響の領域に焦点を当てることで、自分の可能性の領域が拡大してきたと言うことではないかと思います。スティーブンRコビー氏が言うように、私たちは赤ちゃんの頃から自分ができることを繰り返し繰り返し行ってきたことで、その領域が拡大し、スプーンを持てるようになり、歩けるようになり、走れるようになってきたのだと思います。つまり自分の影響の領域に集中すればするほど、自分の可能性もどんどん拡大してくるというわけです。

今日、日本文化がこれほど世界に広がっているのは、日本文化を担ってきた人たちも自分の影響の領域に集中してきた結果ではなかったかと思います。

そして第二に、日本の文化が世界にこれほど広がっている要因として、私は日本人の持つ遊び心が大きく影響しているんじゃないかと思います。例えば、手のひらサイズに握ったご飯の上に、生魚を細かく切ってそれを載せるというのは、遊び心の1つじゃないかと思うわけです。さらに、他の寿司と組み合わせて、色とりどりの寿司を並べると言うのも遊び心の1つの形ではないかと思います。

また、日本のお笑い文化も遊び心の最たるものではないかと感じます。例えば、落語は江戸時代に生まれたと言われますが、皆さんもご存じのように、江戸時代と言うのは、士農工商の身分制度が確立しており、誰もが自分の可能性を最大限に発揮できる時代とは言い難かったかと思います。そして、今以上に女性にも制限がかかっていた時代ではなかったかと思います。しかし、そうした様々な制限があった時代であっても、いや、そういった時代であったからこそ、人々の心の中に遊び心が芽生え、それが、落語やその他の日本の芸能を生み出す土壌になったのではないかと思います。

遊び心と言うのは自由です。他人の目や、社会的常識や、社会理想主義から自由です。そういった遊び心を十分に発揮する存在は、やはり子供たちだと思います。日々、子供たちは様々な行動とりますが、それは私のような大人からは想像もつかないレベルのことが結構多いのです。

例えば、日本語の授業の時間に折り紙を教えたりすることもありますが、子供たちは、折り紙を使って、私が教えた以上のことをやったりすることがよくあります。

でも、遊び心は子供だけが持っているであって、大人は持っていないと思ってる人がいるかもしれません。しかし、実は私たち大人も遊び心を持っています。もう既に失っていたと思う子供が自分の中に人はいるのです。人間の細胞は、常に新陳代謝を繰り返し入れ替わっています。しかし脳細胞だけは、入れ替わりずに、存在し続け、日々発展しているそうです。もし、脳細胞も全て新陳代謝で新しいものに入れ替わっていたとしたら、私たちは全員昔の記憶が全くなくなってしまうでしょう。私たちが昔の記憶を持っていると言う事は、脳細胞が子供の頃から頭の中に存在し続けていると言う証ではないでしょうか。だから、私たちは子供の頃に抱いていた遊び心今でも確実に持っているわけです。

私は、そうした遊び心を最大限に発揮すると、1つの文化が生まれのではないかと思います。

そして、第3に、日本の文化が海外にこれほど広がっている理由としては、日本の文化が世界の人々が共通して抱いている願いや願望を満たすと言う側面があるのではないかと思います。よく日本文化は独特でユニークだということが言われます。しかし、魚を食べる文化も、お笑いを好む文化も、絵画を楽しむ文化も、格闘技や戦いを好む文化も、世界中の様々な所で見られます。日本文化は、そうした世界に共通したものを、日本流に発展させたといえますが、その根底には世界の人々もいた持っていた共通項のスイッチをいれたと言う側面もあるんじゃないかと思うわけです。

言い方を変えれば、日本文化は、世界の人々が心中に持つ遊び心を活性化させる仕掛けが多くあるんじゃないかと思うんです。人々に、ある行動し向けるためには、物理的トリガーと心理的トリガーが必要であるとされています。つまり、何か目の前に物理的なトリガーがあった場合、それに興味をそそると言う心理的トリガーが合致したときに、人間はある特定の行動をするようになるというわけです。すなわち、日本文化と言う物理的なトリガーが、人々の心中に共通してある心理的トリガーを活性化させるきっかけになっているんじゃないかと思ったのです。

また、人間の行動習慣を定着させるためには、次の3つの要因が重要であるされています。私は日本文化はこの3つの要因を満たす働きをしたのではないかと思うのです。

それは、快感、アクセシビリティ、自己効用の三つです。すなわち、快感はそれをすることによって楽しい気持ちいいと言う感覚です。そして、アクセシビリティーは簡単にそれにアクセスできると言うことです。そして、自己効用と言うのは、それをすることが自分にとって何らかの役に立つと言うことです。日本文化はこの3つを多くの人々にもたらすので、それも日本文化を世界に広め習慣化させている大きな原因になっているんじゃないでしょうか。

まとめると、自分の影響の領域である最優先事項に集中し、そこで遊び心を発揮させ、それが人々の行動を習慣化させる要素を満たすと、そこに文化が生まれ、その文化は周囲に拡大していく可能性を持ち始めるんじゃないかと思うわけです。


私たちは、一人一人独自でユニークな価値観を持って生きています。すなわち、人の数だけユニークなカルチャーを生み出す可能性があるわけです。さぁあなたはどんなカルチャーを極めて行きますか。今ここで遊び心のスイッチを入れてみましょう。

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今日も読んでいただいてありがとうございました。

オーストラリアより愛と感謝を込めて。
野中恒宏