天上界の「道元」10号

 

2024年6月13日

 

 

必死さが「美しさ」を生む!

 

 

  宇宙とは、「時間」(往古来今・おうこらいこん)と「空間」(上下四方)のことを言う。

  生命は、今という「令和時代」の時間で生き、「地球」という空間で生きている。

 

  空間は、どこへでも行ける「自由性」を持っているが、今という時間は後戻りができない。

 

  時間は、一方向性であり、「不自由」そのものだ。死んでしまえば、決して生き返ることはできない。

 

  それだけに、生きることに真剣になる。必死になる。その真剣さ、必死さ「美しさ」を生む。

  日本の武士道には、その「美しさ」がある。

 

  8世紀に誕生した武士は、仏教の禅、儒教、そして神道の精神を取り入れ、武士道としての「精神性」を確立し、日本人としての「サムライ精神」を作ってきた。

 

 

武士道「七徳」とは

 

 

  その武士道は、義、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義の「七徳」で表現される。

 

  すなわち、正義を貫く勇気をもち、人にやさしく、思いやりの心をもち、礼を尽くし、尊敬と真心をもって相手に接し、武士としての死をも恐れず、恩に対し、誠意と感謝の心で仕える、という七徳である。

 

 

  人間には、「美」に対して、「感動」する心が与えられている。自然の美しさ、朝日や夕日の美しさ、花の美しさ動物の美しさなど、自然界には「美」があふれている。

 

  人間の心は、その「美」に対して、感動し、癒(いや)されるのだ。

 

 

 春は花  夏ホトトギス  秋は月

冬雪さえて  涼しかりけり(道元作)

 

 

  わし道元は、和歌を愛した

それで作ってみたのが、次の短歌(五七五七七)

 

 

春は花  夏ホトトギス  秋は月  

冬雪さえて  涼しかりけり

 

 

【春になれば花が咲き、夏にはほととぎすが鳴き、秋には月が美しく、冬には雪が降って、身がひきしまる。】

 

 という当たり前の意味だ。

だから 「本来面目」(ほんらいめんもく)という題をつけた。つまりは、「あるがまま」ということだ。

 

  日本には美しい四季がある。春が来て、夏になり、秋が来て、冬となる。

 

  春の桜が咲き、夏のほととぎすが鳴き、秋の中秋の名月、そして、冬の雪に身がひきしまる。

 

  それぞれの四季に「味わい」があり、「感動」があり、「美しさ」がある。

 

  人間の「作為」が一切入らない自然界の姿には、なぜか「美」がある。さらに不思議なのが、その「自然の美」を感じる「詩的感覚」が、人間に与えられていることだ。

 

  だが、残念なことに、人類の歴史は、「美」と対極にある「戦争の歴史」でもあることだ。

 

  次回にそれを考えてみよう。