天上界の「道元」7号

 

2024年6月10日

 

 

道元の死生観(しせいかん)

 

 

 

 天上界の道元はつぶやく。

 

 さてこれから人生を生きる上で、最も大事で難しいテーマを考えてみよう。それは言うまでもなく、「死」というテーマだ。

 

 わしは3歳で父を、8歳で母を亡くした

3歳の時は、小さかったから、死がどういうものか分からなかったが、8歳の母の死の時は、本当につらかった

 

 絶望という言葉があるが、まさしく絶望だった。将来への希望が一切なくなったからな。

 

 この幼い時の両親の死が、その後の自分を「仏道の道」へ駆り立てたとも言える。

 

 そして、幼い時の両親の死が、自分をして、常に死を意識させた。死はいつ突然に訪れるかもしれない、という恐怖心もあった。

 

「(死を)いとふことなく、(生を)したふことなき」

 

 

 だが今思うに、死というものは人間がどうにかできるものでないということだな。「宇宙の意志」に任せるしかない。

 

 それでわしは「(死を)いとふことなく、(生を)したふことなき、このときはじめて、仏のこころにいたる」

 

 ということを『正法眼蔵』『生死』(しょうじ)に書いた。

 

 その意味は、「死を嫌がることなかれ、生を願うことなかれ」という意味だが、

 

「生きている限りは、精いっぱい生き、死が迫ったら、素直に死にまかせきるがよい。それが仏のこころだ」

 

 と言う意味ともなる。

 

 

良寛の死生観

 

 

 わしの弟子・良寛の言葉に、

 

「災難にあう時節には、災難にてあうがよく候。
死ぬる時節には、死ぬがよく候。
是はこれ、災難をのがるる妙法にて候」

 

とあるが、これも同じことを言っている訳だな。

 

 

散る桜 残る桜も 散る桜 (良寛

 

 

 良寛は子供と手毬遊びを興じ、和歌を愛し、晩年は、若い貞心尼(ていしんに)から慕われ,清貧に生きた73の生涯だった。

 

 

「天上大風」(てんじょうたいふう)という言葉を書に書き、「大空に良い風が吹き、上手に凧揚げができますように」という意味を込めた。

 

 そして、散る桜 残る桜も 散る桜」が、良寛の「辞世の句」だったな。残っている桜も、そのうち散る訳だ

 

 この世で、生まれてきて、死なないものは誰1人としていない。死は、万人平等だな。

 

 まーどうしようもないことは、どうしようにもできない。だから、ジタバタしてもどうにもならない、ということだな。

 

 

「不条理の死」をどう考えるか

 

 

 だが、死は「宇宙の意志」だと言っても、寿命で死ぬことは致し方ないが、寿命に至る前に死ぬことは、「不条理」そのものだな。わしの父母がそうだった。

 

 人間の心には、この世の不条理に対して、納得できないものがある。だからわしもこの問題に関しては、その意味を随分と考えた。

 

 その意味が、自分が死んでみて初めて分かった

それは死の世界で、父母に出会って、分かったことだ

 

 自分が死んだときに、花畑の先に、亡くなった父母が立っていて、自分を迎えてくれた。

 

 その時に、父母が言ったことは、

 

「わしらが早くして死んだから、幼いお前を残して随分と心配した。それでもお前は必死で頑張ってくれた。

曹洞宗の大本山・永平寺という立派な禅の修行道場も作った

 その努力を見て、わしらが早くして亡くなったことも無意味ではなかったことが分かり、本当にほっとしている。

お前はわしらの誇りだよ」ということだった。

 

「わしらが早くして亡くなったことも、無意味ではなかった」。この父母の言葉を聞いて、わしの「不条理」に対する考えが変わった。

 

 そうか、父母に起きた「不条理」が、自分を頑張らせた原動力となっていたんだ。ということは、不条理にも意味があったということだ。

 

 

この世に無意味なものはない!

 

 

「この世に無意味なものはない。すべてに意味がある」という言葉がある。

 

 その時には「不条理」と思えることも、長い時間の流れで見れば、ちゃんとした「意味がある」ということだ。

それが分かると、この世の不条理にも耐えることができる。

 

 繰り返すが、幼い時の両親の死が、その後の自分を「仏道の道」へ駆り立てたのだ。

 

 そして、両親の死が、自分をして常に死を意識させ、死はいつ突然に訪れるかもしれない、という恐怖があったことも事実だ。

 

 同時に、だからこそ、今を、今日1日を精一杯生きようとも考えた。経典も必死で学んだ。坐禅も真剣に行った。

 

 起床、洗面、食事、清掃などの日常生活も、型を求めて美しさを追求した。

 

 それが出来たのも、命が限りあるものであることを身に染みて知っていたからだ。

 

 すなわち、父母の「不条理の死」が、自分の真剣に生きる「原動力」となっていたのだ。

 

 次号へ続く。