小噺シリーズ(9)
石黒由美子さんの
壮絶な事故体験(小学2年の時)
2024年5月17日
今、私の手元に1冊の本があります。『奇跡の夢ノート』石黒由美子著、NHK出版の本です。
本の著者・石黒由美子さん(1983年生まれ)は、2008年8月8日の北京オリンピック・シンクロ日本代表として出場し、チーム5位入賞を果たしています。
しかし、そこへ至るまでの道のりは、大変な苦労の連続でした。そもそもの苦難の始まりは、7歳の時に遭遇した大事故です。相手の乗った車が正面衝突してきたのです。
顔面崩壊の危機
助手席に乗っていた石黒さんは、その大衝撃で、跳ね上がり、フロントガラスへ顔面を激突します。
右の頬が、口裂け女のように耳までザクリと裂け、顔だけで540針、口の中は、260針も縫う大手術でした。顔面粉砕骨折、眼球打撲、網膜はく離、顔面マヒ、という顔面崩壊の危機に直面することになります。
手術後の医師の言葉は「顔中の神経が断裂しており、深い傷跡が残るでしょう。表情を作ることも難しいかもしれません。右目はまぶたがつれ、開いたまま閉じることが出来なくなる可能性があります。
言語障害など、他にもさまざまな障害が出て来ることを覚悟しておいて下さい。普通の暮らしに戻ることは望めないかもしれません」。
まさしく絶望宣告です。
ところが、その後の石黒さんの必死の努力が、驚異的な回復を果たしていくのです。
「数々の奇跡」が起きた!
その方法が、「夢ノート」を作ることでした。「夢ノート」の作成が、「数々の奇跡」を起こしていったのです。
まず99.9%の確率で失明すると言われた眼が、手術日の当日、自然回復していることが分かり、手術をのがれます。
次に、眉間の奥に埋まっていた1センチ角のガラス片を、手術をせずに取ることに成功します。
ある朝、くしゃみをしたら、そのガラス片がポーンと鼻奥から飛び出てきた、と言うのですから驚きです。
さらに、手術では取りきれなかった、顔や体に残っていた数ミリのガラス破片も、自然に皮膚から出てきた、ということです。このような続けざまの奇跡に、本人はもちろん、医師たちもビックリします。
事故から半年後に、何とか退院を果たしますが、それでも、顔には、フランケン・シュタインのように縫い跡が残り、筋肉はうまく動かず、曲がった口元からは、たびたびヨダレが垂れ、視野狭窄も残ります。
しかし、石黒さんは、自分なりの「夢ノート」をその後も続け、奇跡とも言える回復を、果たして行ったのです。美容整形をすることもなく、独自の顔面笑顔作戦で、顔のこわばりをとっていくのです。
「北京オリンピック」に出場!
そして遂に、シンクロナイズド・スイミングで「北京オリンピック」に出場し、チーム5位入賞を果たすのです。
2008年8月23日の『朝日新聞』にも、「後遺症克服、笑顔の舞」「交通事故で540針、シンクロ、石黒」「苦しむ人に勇気を」というタイトルで報道されています。
さらに、2011年の2月には、『魔女たちの22時』というテレビ番組にも、出演することになります。
私もそのテレビを見ましたが、本当にきれいな顔、という印象でした。現在、Youtube 動画でもご覧になれます。
石黒由美子さんのこのような奇跡とも言える驚異的な回復
の裏には、小さい頃、母から教えてもらった「夢ノート」があったのです。
その「夢ノート」の作成法を、簡単に、下記に記しておきます。詳しくは、ご自分で本を購入して読んでみることをお勧め致します。落ち込んだ時に、また読み返すことによって、勇気が湧いてくる本だと思います。
〔石黒式夢ノートの作成法〕
l ノートを1冊用意する。
そのノートに、叶えたい「夢、目標」を「具体的に」、「黒い」ボールペンで書く。
その夢、目標を実現するために、何をすべきか、何を準備
すべきか、どれくらいの時間をかけるべきか、どんな行動
を起こすべきか、を明確に書く。
l パソコンを使わずに、自分の手で書くことです。
l 朝起きたら必ず、ノートを読む。毎日読むこと。
l 書いたことは「必ず叶う」と信じる。
l 実現したら、赤線で消し、「ありがとうございます」と
書き添える。
以上のように極めてシンプルと言えます。
後はこれを信じて実行するかです。
成功者の多くは、自分なりの「想念法」を実行しているようです。人間はこの世に幸せになるために生まれてきました。
幸せは、与えられるものではなく、自分でつかむものです。人間の脳は、目標を持つと、それを「叶える力」を持っています。 参考になって頂ければ幸いです