小噺シリーズ(7)
アインシュタインの小噺(続き)
2024年4月28日
前回でアインシュタインの「すごさ」を書いた。
今回もその続きです。
自由落下するエレベーターの中の人間は、無重力になる。つまり、中で浮く。
アインシュタインは、そこから「慣性力」で「重力」は消せる、という生涯最高のヒラメキを得た。
そのことをもっと「深堀り」したい。
自由落下するエレベーターの中は、無重力になるというが、これはどういう意味を含んでいるのか。
その意味は、重力場の中に「無重力」の場が「同時に存在」している、ということでもある。つまり、重力=重力+無重力となるのだ。
しかし、「無重力」になると言っても、自由落下そのものは消えないことは当然だ。いずれ地面に落ちるからだ。
落下しながら、無重力という感覚を味わっているに過ぎない。落下という重力そのものは、消えていないのだ。
それでも「慣性質量」と「重力質量」の「等価性」を認め、そこに宇宙における「等価の原理」を設定してよいのか、という問題は残るはずだ。
アインシュタインは、それでもそこに、宇宙における「等価の原理」を設定した。そして、実際にそれが間違っていないことを証明したのだ。
もう1つある。
それは「光速度不変の原理」である。
アインシュタインは「マクスウエル方程式」を見て、そこに光速度の「不変性」を感じた。
しかし、それが即、光速度の「絶対性」になるのだろうか。なぜなら、水の中やダイヤモンドの中では、光速度は減衰するからだ。条件によって、光速度も変化するのだ。
それでも光速度の「絶対性」を「宇宙の原理」として設定してよいのか。
さらに、真空中の速度が秒速30万㎞ということが、それが「宇宙最高速度」と言えるのだろうか、という疑問も残るはずだ。将来、光速度を超える現象が見つかるかもしれないのだ。
そういう「反論」が想定できるにもかかわらず、アインシュタインは、1905年に「光速度不変の原理」を設定した。
そして、実際にそれが「間違っていない」ことを証明したのだ。
さらにもう1つ言えば、「時空」の概念だ。
アインシュタインは「時間と空間」の一体性から「時空」という「新しい概念」を設定した。
目に見えない「エーテル」は否定したが、同じく目に見えない「時空」というものを新しく想定したのである。
しかも目に見えない空間は、重力により、曲がっているというのだ。自分のいる場所の空間を、手を振って、探ってみても、なんの感覚も起きない。なのに、その空間が曲がっているというのだ。私にはどう考えても信じられない。
それでも、アインシュタインは「時間と空間」の一体性から「時空」という「新しい膜」を設定した。
そして、実際にそれが「間違っていない」ことを証明したのだ。
それが天才の発想力の「すごさ」というものだろう。
同時に、裏返せば、宇宙の「すごさ」を示しているとも言える。だからこそ、宇宙の仕組みは「面白い」のだ。
宇宙の「究極の秘密」とは、一体何だろうか。
真理のもつ「すごさ」とは、一体何だろうか。
わくわくは尽きない。