「不思議な国・日本」論 10号
2023年8月1日
武士道とは
人間は一人では生きられない。
必ず集団を作る。つまり、異性と出会い、恋愛をし、結婚し、子供を生み、まずは家族を作る。それら家族が集まり、ある程度の共同体というものになり、村や町を形成していく。
それらの地方共同体が集合して、もっと大きな共同体、すなわち国家というものを形成する。
人間の歴史は「拡大」の歴史である!
人間の歴史は、このように「拡大の歴史」を作ってきた。小さなものから大きなものへ「拡大」していくのだ。領土の拡大であり、支配権の拡大であり、権力の拡大であり、富の拡大である。拡大していきたいというものが、人間のもっている本能だからだ。
拡大欲望は、いずれ「野望」となっていく。
その拡大・野望の過程はまた、「闘かいの歴史」でもある。
人間の集団が出来ると、かならずその集団には、ボスが生まれる。でないと、秩序が保てないからだ。日本の場合は、武将だ。
各地方の武将が争い、さらなる統一がなされていく。平氏と源氏の戦いで、源頼朝による鎌倉幕府がうまれ、武家政権が誕生した。
その後、織田信長による天下統一の機運がうまれ、豊臣秀吉によって日本統一が果たされる。
そして徳川家康が江戸幕府を誕生させ、265年間という長期間にわたって、日本国の安定がもたらされたのである。
8世紀に誕生した武士は、その後、仏教の禅、儒教、そして神道の精神を取り入れ、武士道としての「精神性」を確立し、日本人としての「サムライ精神」を作ってきた。
武士道「七徳」とは
その武士道は、義、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義の「七徳」で表現される。
すなわち、正義を貫く勇気をもち、人にやさしく、思いやりの心をもち、礼を尽くし、尊敬と真心をもって相手に接し、武士としての死をも恐れず、恩に対し、誠意と感謝の心で仕える。
「不動心」とは
武士道の「中核」にあるものは、いざというときは死をも恐れない「不動心」である。
つまり、いつでも、いかなる時でも、不名誉な恥ずべき行動はとらない「覚悟」である。
そこにある精神は、己の欲望を抑制し、相手を敬い、愛し、感謝する精神だ。
人間としての「人間力」と「品格」を高めていく精神性である。
加えて、己の間違いに気づいたときは、素直に謝る心である。同時に、相手のミスに対しては「責めない」寛容心である。
すなわち、「不動心・克己心・敬・愛・感謝・誠意・寛容」の七精神である。
以上のように、仏教の「慈悲の心」、禅の「生死一如」、儒教の五常「仁、義、礼、智、信」、神道の「畏敬心」や「美の心」が、武士道を形成している。
天人合一説
天には神がいる。神は美しく、宇宙を支配する偉大な存在である。その神の「美」と「万能力」は、この世の自然を作り、生命を誕生させ、人間を生んだ。
その神が、人間の肉体・精神を形成している。
ここから「天の思想」が生まれ、天人合一説、天人相関説が出てきて、神道(しんとう)、儒教、道教(どうきょう)、仏教、黄帝内経(こうていだいけい)などの根本思想となっていった。
西郷隆盛の「敬天愛人」や、夏目漱石の「則天去私」なども、その流れである。
美しい精神性
天に恥じない生き方、美しい生き方、かっこいい生き方として武士道が形成されていった。
生命には、己の命を守り、次世代へつないでいく使命がある。そのために己の欲望が「本能」として遺伝子・DNAに刻まれている。
その最たる本能が「食欲、性欲、物欲」であり、「死にたくない心」である。
しかし、その欲望が時として自己中心的で美しくない人間を生む。己の欲望に負ける生き方である。必要以上に死を怖がり、過剰な物欲、性欲のとりこになる。精神性よりも拝金主義が第1となっていく。
克己心(こっきしん)とは
そういう己の弱さに負けない「克己心」を求めて、禅が武士の修行となった。剣禅一如である。静かに座り、座禅を組み、己自身と向き合い、死の恐怖を克服し、己の欲望に負けない美しく、品格ある武士を目指したのだ。