〔東洋医学論〕46号
2021年11月28日
人間の能力には2つある。
表面に表れている「顕在的」なものと、奥深い「潜在的」なものの2つだ。
普通の一般人の多くは、表面的で顕在的な能力しか使っていない。だから気功能力というものは、普通の人には使えない。発揮されないのだ。
人間の遺伝情報は、約60億のDNA塩基対の配列に在る、と言われている。しかし、その全部がスイッチオンしているかというと、実際はそうではないらしい。多くの遺伝情報が、眠ったままなのだ。
その眠った能力を、自己の鍛錬で開花させていく。それが人生修行というものだ。
以上のことを聞き、天宮仁は、自分が尊敬する「ある人物」のことを思い出していた。
天宮仁のふるさとである三重県に、「神島」と言う小島がある。伊勢湾に浮かんだ周囲四キロの小島だ。三島由紀夫の小説「潮騒」の舞台となった島だ。小説では、「歌島」と書かれている。天宮仁は、伊勢湾に浮かぶこの神島で生まれた。
島には八代神社がある。214段の石段を登っていくと、神明造りの社殿がある。八大龍王を祭神とし、古墳時代から室町時代にわたる百余点の神宝が秘蔵されている。国の重要有形文化財に登録されている。
仁が中学時代まで父から教えてもらった1つに、剣道がある。その体力強化に、八代神社の214段の石段を上り下りして、足腰を鍛えた。
鳥羽の高校へ進学し、剣道部に入り、練習に明け暮れた。同時に、宮本武蔵の『五輪書』を読み込んだ。
宮本武蔵(64歳没、江戸時代初期の剣豪)は、13歳の時から生死をかけた戦いを繰り返し、29歳頃まで60余度の真剣試合に勝ち続けた。
62歳になり、
次いで『独行道』という自己を律する言葉を21箇条で記した。その7日後に亡くなった。64歳であった。
兵法、座禅、仏教、文章、書、絵などをすべて独学で学び、研鑽を積み、独自の哲学を究め、剣の奥義を探究した武士であった。
宮本武蔵とは
宮本武蔵は64歳の生涯を熊本の地で終えた。
死の2年前から霊巌洞にこもって執筆した『五輪書』は、「地、水、火、風、空」の5巻からなる。
構えあって、構えなし。
一理に達すれば、万法に通ず。
観の目強く、見の目弱く、遠きところを近く見、
近き所を遠く見ること、兵法の専なり。
千日の稽古をもって「鍛」とし、
万日の稽古をもって「錬」となす。
最後の「空の巻」には、
【わが二天一流の道について、空というあり様は、有るところを知って、無いところを知る。
武士は兵法の道を探求し、朝に夕に怠ることなく、心・意2つのこころを磨き、観・見2つの眼を研ぎ、少しの曇りなく、迷いの雲の晴れたるところこそ、実の空と知るべきなり。
「空」を道とし、道を「空」とみる。空に善あり、悪なし。智は有なり。利は有なり。道は有なり。心は空なり。】とある。
そして、死の1週間前に書いた『独行道』には、
l 世間の道にそむくことなし。
l 我、事において後悔せず。
l 一生の間、欲心を抱かない。
l 自分にも他人にも、愚痴や不平を言わず、嘆かず。
l 物事に執着せず。
l 身一つに美食を好まず。
l 兵法の道を極めるに、死を厭わない。
l 一命を捨てても、武士としての誇りと栄誉は捨てない。
l 老残の身に財宝を所持し用いる心はない。
と書いてある。
武蔵は、「剣の道」を、己の心を高めていこうと言う「精神修養の道」と考えた。
たった1つの負けが命を落す真剣勝負の時代に、勝つ理を求めながらも尚、人間としての「精神鍛錬」をも追及した武士でもあった。
誰からの指示ではなく、自分で自分を律していく。
人間としての高みを目指していく。その孤高の生き方が、時代を超えて多くの人の共感を呼んでいる。天宮仁もその1人であった。
『五輪書』に言う
「心・意」2つのこころとは何か。
「観・見」2つの眼とは何か。
「実の空」とは何か。
天宮は『五輪書』を開くたびに考える。
殺伐とした殺し合いの時代に生きながらも、剣を通して、己の「人間力」を高めていくと言う求道精神を、己に課した武蔵。
その武蔵が辿り着いた境地とは、いかなるものか。
命のやり取りとは一切の関係ない安全な時代にいる自分にとって、剣道とは何か。
大げさに言えば、「生きる」とはどういうことか。
「神の島」と言う伊勢湾の小島に生まれ、父の命を賭けた「漁師」という背中を見て育った天宮仁にとって、中学時代から芽生えたテーマであった。
次回へ。