〔日本復活論〕17号
2021年5月29日
太平洋戦争中、政府は、戦費を調達するために、多額の国債を発行した。その国債を日銀に引き受けさせ、貨幣を手に入れた。
このような日銀による「国債の直接引き受け」の実施が、戦争を遂行させ、その結果、敗戦後の「悪性インフレ」をもたらした原因と考えられ、その反省の上に立ち、財政法第4条と第5条が規定された。
すなわち、政府の勝手な判断で大量の国債を発行し、貨幣を手に入れ、それが戦争遂行の財源となった、と考えた訳である。
だから、国家の運営は、税収の範囲内でしなければならず、国債発行という借金運営は邪道にあたる。
そういう決意のもとに、財政法第4条と第5条が規定された。
そういう苦い歴史的背景の下に、政府、財務省、マスメディアは、赤字国債の増大は、日本の財政法の趣旨に反していると考え、「懸念」していると思う。
その「歴史的背景」が、戦後70年以上を経て「慣例」として、財務省を支配してきた。
そういうことが「財政破綻論」の「歴史的な背景」だと推察される。
国債は、戦争の「原因」ではない!
しかし、以上の考え方は「主客転倒」の考え方である。
なぜなら、20世紀における太平洋戦争の原因は「貨幣」、つまり「国債」ではなく、「国外・国内的諸要因」と「相互不信」にあったからだ。
すなわち、太平洋戦争の原因は、石油資源の不足、国内経済の大不況、失業者の増加、加えて、米国に対する不信感の増大、軍部の台頭などである。
要するに、国債の発行は「結果」でしかない。原因ではないのだ。
中央銀行制度では戦争を防げない!
たとえ紙幣の発行を日銀に専属化させても、日銀と政府の「一体性」を考えれば、戦争遂行を決めた政府の要求に対し、政府の子会社である日銀側が拒否出来る訳がない。
なぜなら、日銀総裁の人事権は実質的に内閣が持っているからだ。法律上は、国会の同意を経て内閣が任命するが、内閣は国会多数党が形成するから、障害とはならない。
その上に、日銀は内閣との「整合性」が要求されている。つまり、政府と日銀は「統合政府」という形で「一体化」されているのだ。(日本政府は、日本銀行の株式を55%保有している)
政府の政策に反する行動を、政府の子会社である日銀側がとれるとは思わない。
政府による国債発行の要求があれば、日銀はその要求を拒否できる訳はなく、紙幣を発行せざるをえないのだ。
要するに、国債の発行は、戦争の原因ではないのだ。「結果」でしかない。
いったん戦争が起これば、政府と軍部は、何が何でも国債を発行させ、紙幣を獲得し、戦争を続けていくのだ。
それが国家権力の本質である。
だから「中央銀行制度」と「国債制度」は、戦争に関しては「無力」だと言わざるをえない。
しかし、それら制度が、21世紀現代における政府の「借金問題」を発生させているのだ。本当は「借金ではない」のにだ。
なぜなら、自国通貨建て国債は「借り換え」方式で「永久債」だからである。「永久債」とは、「返済の必要がない借金」という意味である。その「根拠」となっているのが、主権国家が有している「通貨発行権」だ。
にも関わらず「借金」や「赤字」という言葉に降り回され、そのために「国民の負担」が強いられているのだ。
自分たちが「良かれ」と思って作ったルールに、自分たちの利益が「損なわれて」いるのだ。
その形が「中央銀行制度」と「国債発行制度」である。
21世紀は「地球危機」の時代!
今こそ「国土強靭化」が必要!
戦後、76年が過ぎて、時は21世紀を迎えた。
地球温暖化が進み、異常気象による豪雨洪水、山林の土砂崩れ、巨大化した台風などが、多大な人的・物的被害をもたらしている。「生命」そのものの危機を迎えているのだ。
すなわち、首都直下地震、巨大南海トラフ地震、富士山爆発も想定されている。巨大台風や集中豪雨による荒川の氾濫洪水も懸念されている。その際の政府の「バックアップ機能」はどうなっているのか。「情報管理」の「東京一極集中」から「分散化」へ、は進んでいるのだろうか。政府機能の「2重化」が必要となっている。
荒川の氾濫洪水による東京5区の水没、地下鉄の水没、都心への影響など、250万人と想定される膨大な避難民に対し、どう対処するのか。
全国の高速道路やトンネルなども、耐用年数の限界に来ている。あらゆるインフラが更新時期に来ているのだ。
そういうインフラ整備は、私的企業には出来ない。
政府にしか出来ない。
その上に、新型コロナウイルス危機が2020年から世界中を席巻している。
人的物的流れが止まり、多くの中小事業者が、経営の危機に直面している。
異常気象と新型ウイルスの来襲により、地球規模の大危機の時代を迎えているのだ。
地球危機を乗り越えるためには、
国家政府の「財政出動」が必要だ!
このような大危機を乗り越えるために、国家政府による「財政出動」が、真剣に求められているのだ。
もはや資本主義の「自助」のみでは、この危機を乗り越えることは、難しい時代となっている。
国家政府による「公助」が前面に出なければ、乗り越えられない時代となっているのだ。
幸いに今の日本には、多くの「通貨供給力」が残っている。なぜなら、インフレ率が0に近いからだ。
つまり、多額の国債を発行し、通貨を作り出すことが出来るのだ。もちろんその上限はインフレ率2%だ。それを実行できるのは、政府しかいない。
物事には、必ずプラスとマイナスの両面がある。
料理に使う包丁も、人を傷つけることも出来る。
政府の「国債発行=通貨発行権」も、包丁と同じく、「諸刃の剣」だということだ。破壊にも創造にも使用できるからだ。
すなわち、戦争遂行の財源ともなれば、国民救済の財源ともなるのだ。
戦争遂行の財源という過去の「マイナス出来事」に捕らわれ、トラウマ化させ、折角の「打ち出の小槌」を有効利用せずに、「宝の持ち腐れ」にするか。今その「分岐点」に立っていると思う。
大事なことだから繰り返すが、そもそも日本における国債の発行は、返済の必要のない「永久債」の発行であり、将来世代へ負担を強いることでもなく、主権国家だけがもつ「国民救済」のために、「無」から金を生み出す「打ち出の小槌」なのだ。もちろん、インフレ率2%の枠内である。
21世紀の「科学力」による大幅な「生産力」の増大が、政府の思い切った「財政出動」を可能にした!
それを可能にしたのが、21世紀における「科学力」による「生産性」の向上、大幅な「生産力」の増大である。
20世紀までは生産力が少なかった。だから、通貨発行量を大量に増やすと、すぐに物価上昇につながった。この長い経験が、今でもトラウマとなっているのかもしれない。
しかし、時代は確実に進化しているのだ。それを可能にしたのが、「科学力」である。
この「科学力」による「生産力」の増大こそが、21世紀における国家政府のもつ「国債の発行=通貨発行権」を「質的転換」させていると思う。
次回へ。