〔日本復活論〕16号

 

2021年5月28日

 

 

財政健全化の「歴史的背景」とは

 

 

ではなぜ、政府・財務省マスメディアは、「財政健全化」すなわち「プライマリー・バランスの黒字化」「拘る」のだろうか。

 

そこには「歴史的背景」が関与していると思う。

どういうことか。人類は、過去2度も、世界大戦を経験している。その苦い経験から、戦争の時には、多額戦費を調達するために、時の政府による膨大な「国債」が発行されたことを、人類は学んだ。

 

そこで、戦後の日本国憲法は、二度と悲惨な戦争を起こさないために、明確に、9「戦争の放棄」を規定した。

 

そして、その憲法の「戦争の放棄」「保障」するために、財政法4条で、政府による「国債発行」「原則禁止」にした。それを補強するために、「中央銀行」の「独立性」を強化したのだ。

 

 

「財政法第4条」とは

 

 

「財政法第4条」は

「国の歳出は、公債または借入金以外の歳入を以って、その財源としなければならない。」と、国債の発行を原則禁止している。

 

財政法第4条の趣旨は、物価の安定悪性インフレの防止、金融システムの安定であるが、その根底には「戦争の防止」がある。

つまり、「歳入の範囲内で国家運営をしなさい」という「究極の目的」が、財政法第4条である。

 

しかし、但し書きに、

公共事業費、出資金及び貸付金の財源については、国会の議決を経た金額の範囲内で、公債を発行し、又は借入金をなすことができる」と、

例外的に「建設国債」の発行を認めている

 

その趣旨は、「建設国債」によるダムや道路、防潮堤などは「後世の財産」として残るからだ。

「建設国債」1966年から発行されている。

 

 

「財政法第5条」とは

 

 

次に「財政法第5条」を見てみよう。

すべて、公債の発行については、日本銀行にこれを引き受けさせ、又、借入金の借り入れについては、日本銀行からこれを借り入れてはならない

 

但し特別の理由がある場合において、国会の議決を経た金額の範囲内では、この限りではない。」

 

このように財政法第5は、日銀が通貨を発行して、政府が発行する国債の直接購入を「原則禁止」している

これを「財政ファイナンス」(日銀直接引き受け)とも呼んでいる。

つまり、「財政ファイナンス」(日銀直接引き受け)「原則禁止」となっている

 

ただし、国会の議決があれば、日銀による国債の「直接引き受け」も「可能」だとも規定している。

つまり、「例外容認」である。

 

 

国債発行は戦争の「原因」ではない!

 

 

大事なことだから繰り返すが、太平洋戦争中、政府は、戦費を調達するために、多額の国債を発行した。その国債を日銀に引き受けさせ、貨幣を手に入れた。

 

このような日銀による「国債の直接引き受け」の実施が、戦争を遂行させ、その結果、敗戦後の「悪性インフレ」をもたらした原因と考えられ、その反省の上に立ち、財政法第4条と第5条が規定された、と言われている。

 

しかし、以上の見方は、「原因」と「結果」を逆にみているのだ。

 

 

 

 

国家の財政問題の「根幹」は何か

 

 

 

  国家の財政問題の「根幹」は、何を「第一」とするかどうかである。

 

  すなわち、第一は「国民生活の安定」(政府の財政拡大、国民負担の軽減化)であり、決して「財政の黒字化」(政府の緊縮財政、国民への増税)ではないということである。

 

  この順番を「誤る」と、結果が大きく違うことになる。

場合により、過去の戦争の1因になったことも歴史が示しているからだ。

 

  以下の文章は、中野剛志『どうする財源』――貨幣論で読み解く税と財政の仕組み(2023年4月10日発行、祥伝社)より抜粋したものである。

 

 

健全財政(緊縮財政)が戦争の「遠因」となった!

 

 

【朝日新聞は「国債発行による軍事費膨張が悲惨な戦禍を招いた」などと主張しているが、本当は、戦前日本の軍国主義化の遠因は、健全財政(緊縮財政)にあったのです。

 

  1929年に成立した浜口内閣は、金解禁(金本位制への復帰)を目指し、緊縮財政(健全財政)を実行した。世界恐慌が始まっていたにもかかわらず、1930年1月に金本位制へ復帰したのです。

 

  ところがこの浜口内閣による「緊縮財政」、昭和恐慌を引き起こしてしまい1931年9月に満州事変が勃発してしまったのです。

 

  その結果、昭和恐慌が進行し、倒産や失業が急増して、悲惨なことになりました。とりわけ、農民と中小企業者深刻な打撃を受けました。

 

  それにもかかわらず、井上蔵相は金本位制という財政規律を維持し、頑なに健全財政路線を守り続けました。朝日新聞からは称賛されそうですね。

 

  その結果、大変なことになりました。

昭和恐慌によって、困窮し、没落した中間層は、自分たちを見捨てた政府を見限り過激な労働運動右翼的な運動へと走ったのです。そうした彼らの不満や不安あるいは怒りの受け皿になったのが、軍部です。

 

  こうして軍部が台頭し、日本は軍国主義への道を歩んでいったのです。

 

  ちなみに、恐慌によって中間層が没落し、国民の思想が過激化して、全体主義が生まれるという現象は、日本に限ったものではありません

 

  例えば、同時代のドイツにおけるナチスの台頭も、同様の現象として解釈されます。

 

 このように、戦争への道を開いたのは、浜口内閣の「健全財政路線」とそれが引き起こした恐慌だったのです。

 

  苦境にある国民を救うよりも、財政規律を優先させ、国債発行を禁じ手とするような頑迷な健全財政のイデオロギーこそが、悲惨な戦禍を招いた。

 

   これが本当の歴史の教訓なのです。

ところが、朝日新聞は、その歴史を改ざんし、まったく逆の解釈を導き出したというわけです。

 

  そして、この歪められた歴史は、財政法第4条の中にも埋め込まれて、今日もなお、日本国民を拘束しているのです。】

 

(以上、中野剛志『どうする財源』――貨幣論で読み解く税と財政の仕組み(2023年4月10日発行、祥伝社)より抜粋)

 

次回へ。