〔幸せの玉手箱〕8号
「幸せの法則」には「順番」というものがある!
正月に、孫2人が、遊びに来た。
その孫2人と一緒に、風呂に入った時のことである。
始めに3歳9ヵ月の兄の体を洗い、浴槽へ入れた。
すぐに兄は水遊びを始めた。コップを持ってお湯を汲み、別の容器へ入れている。
次に1歳4ヵ月の弟を呼び、体を洗い、浴槽の中へ入れた。しかし、弟のコップがないことに気付いた。不服そうな顔をしている弟に、新しいコップを出して与えた。それを見た兄が、その新しいコップを欲しがっている。
その時に、兄のとった行動に驚かされた。
弟に向かってやさしい言葉で、「これあげるね!」と言って、自分の持っていた古いコップを、弟に渡したのだ。
もちろん弟は、嬉しそうに、それを受け取った。
両手に持った2つのコップに、思わず口元がほころんでいる。
しかし、すぐそのあとで兄が、新しいほうのコップを指差しながら言った。
「そのコップを貸してくれる?」
兄ちゃん大好きの弟は、すんなりと新しいコップを渡した。
「ありがとうね」と言って、兄は、うれしそうに
新しいコップを受け取った。弟も、嫌な顔をしていない。
このやりとりを見て、3歳9ヵ月の持つ「知恵」に驚いた。
言葉1つで、自分の欲しいものを、けんかもせずに、すんなりと手に入れたのだ。
「与えれば欲しいものが手に入る」ことが分かっているのだ。「サービスすれば、喜ばれる」「出せば、入ってくる」。日本語には、この原理が、入った言葉が多い。
「損得」という言葉がある。損(サービス)が、まずは先に来る。これを「得損」とは言わない。「損益計算書」、「貸借対照表」と言う。先に来るものは、「損」や「貸す」という「出す方=サービス」である。 決して、「入れる方」ではない。
「出入口」と言うが、「入出口」とは言わない。
同じく「出船、入船」と言うが、「入船、出船」とは言わない。「呼吸」と言うが、「吸呼」とはいわない。まず吐く、すると空気が入ってくるのだ。日本語には「真理」が含まれている。
人も、この世にオギャー(吐く)と生まれ、息を引き取って死んでいく。外国語も同じだ。ギブ・アンド・テイクと言う。ギブ=与え、そしてテイク=受け取る。この順番である。
自然界の「エネルギーの流れ」にも、この原理は当てはまる。
太陽は東から出て、西へ沈む。だから「東西」と言う。
地球の磁力は、南から出て、北へ入る、だから「南北」と言う。水は上から下へ流れる。だから「上下」と言う。下上ではない。
では「男女」の謂われは、なんだろうか。
男尊女卑の名残と言う説もあるが、生命誕生のエネルギーの流れを考えると、納得がいく。
受精の機序は、精子の放出→卵子の受け入れで成り立つ。この逆はない。だから「男女」となる。
心臓血液も左(左心室)から出て右(右心房)へ入る。だから「左右」と言う。
日本語には、このような「自然界の原理」がこめられている。
1番目が「出す方=遠心性=陽」、2番目が「入る方=求心性=陰」という「順番の原理」である。
物事には必ず「順番」がある。この「順番の原理」「は「心と体」の関係にも適用される。
心が1番目、体が2番目となる。多くの病気の発生機序も、
心のストレス=自律神経=氣から始まる。
だから「病気」と言う。氣が病むのだ。元の氣へ戻すと「元気」となる。多くの病気の根底に、日常、心に感じる嫌なこと=ストレスがある。
嫌なことが続くと、筋肉が硬直する。それが骨盤のズレを作る。ここから筋肉が酸素不足に陥り、あらゆる痛み、病気が出てくる。
自分の心のクセというものが、この世を「生きづらく」させていく。今一度、自分の心のクセ、受け止め方のクセというものに思いを馳せてみたいものだ。
そういう自分のクセを「省みる習慣」が、自分を「幸せの境地」へ持っていくのかもしれない。