■『神の愛』と『煩悩の愛』 | クリシュナ宇宙学校

クリシュナ宇宙学校

クリシュナ☆が行う『宇宙学校』は
最高レベルの「多次元宇宙の真理」が学べる学校で、
神様と仲良くなり、神の視点から現象を捉えられるようになる学校です。

精神レベルをあげたい人、成長したい人、論理的に
宇宙法則を理解したい人はお気軽にお問い合わせください

『神の愛』に関しては、

わたしの場合は、

■「父性の愛」



■「母性の愛」

という側面からと、

①「無条件の愛」

②「無限量の愛」

③「無限変化の愛」

という3つの側面から解説させていただくことが多いのですが、


谷口雅春さんは、「聖経 真理の吟唱」においては、

■「無条件の愛」
 


■「無我の愛」

という側面から解説なさっています。

とても解りやすく、優れた解説だと感じます。


両方の解説を合わせて立体的に理解することで、より適切な実践が可能になるではないかと感じます。

では、110ページから

∞⇔∞⇔∞⇔∞⇔∞⇔∞⇔∞⇔∞⇔∞⇔∞⇔∞

  【神の愛を実践する祈り】

すべての人の生命の奥底には神のいのちが宿っているのである。

それを仏教では「一切衆生ことごとく仏性あり」というのである。
それをキリスト教では「内在のキリスト」というのである。
(※イエスさんは、「ヒマラヤ聖者の生活探究」の中では「神我キリスト」と説明なさっています)

その『仏性』といい、『内在のキリスト』というのは、われわれ日本人では『神』と呼ぶのである。

『神』がすべての人々のうちに宿っているのである。
『宿っている』どころか、『神』こそが人間の『本当のいのち』であり、
肉体は『神』が地上に天降って自己を実現するための媒体であって、肉体は『人間そのもの』ではないのである。

肉体の奧に、物質の奧に、霊妙きわまりなき、神通自在の神霊が存在するのであって、その神霊こそが『人間そのもの』であるのである。


その神霊の本質は『愛』であり『智慧』であり、『久遠不滅の生命』であるのである。

私たちが愛を完(まっと)うしたとき、わが内部の神霊は本当に生きたのであり、本当に生きたとき、人間は生き甲斐を感ずるのである。


【神の無条件の愛】

神の愛はすべての人を憎まない。
神の愛はすべての人を赦(ゆる)すのである。
神の愛はすべての人を生かすのである。
神の愛は偏った好き嫌いをしないのである。
すべての人に調和してすべてのすべての人を幸福にせずにはおかないのが神の愛である。

神の愛は行き届くのである。
神の愛は決して躓(つまず)くことはないのである。
神の愛は自分を愛さない人をも愛するのである。
神の愛は、その相手となる人が自分を愛さなくても寂しくはないのである。
神の愛に寂しいということはないのである。

神の愛はただ愛するのである。
神の愛は決して自分を愛してもらうことを求めないのである。
神の愛は無条件の愛である。
神の愛は報いを求めないのである。
愛は求めないでも、それを実践するとき愛自身を完(まっと)うするのである。


【神の無我の愛】

神の愛が自分に発現したとき、自分は神聖となるのである。
何故ならその人は決して利己的な欲望をもたないからである。

神の愛は無我の愛である。
無我のところに神があらわれるのである。

我の願いを含んでいる愛は汚れている愛である。
愛の仮面をかぶっている煩悩に過ぎないのである。
手垢のついた愛は、愛の仮面をかぶった利己主義である。

愛は快楽主義ではないのである。
愛は自己の快楽を放棄する。
愛は求めないで、すべてを捧げる。
自分のすべてを献げ終わったとき、そこに却って完するものがある。
それが神の愛であるのである。


神の愛は静かに降り注ぐ夜露が、すべての植物をうるおして生気を与えるように、静かに音もなく、目立つこともなく万物を生かす。

万物を生かしながら、自分が生かしてやったというような顔すらしないで、朝がくれば消え行くのである。
それでよいのである。
それが神の愛である。

この事を知らせ給うた神に感謝いたします。

 (「聖経 真理の吟唱」谷口雅春著より)

∞⇔∞⇔∞⇔∞⇔∞⇔∞⇔∞⇔∞⇔∞⇔∞⇔∞


※自分を振り返ると、ぜんぜんまだまだだなぁと、感じます。

●神の愛の実践と、
●天地一切のものとの和解(=愛と包容と融和と祝福)
 
1つ1つ、注意深く、チェックし、確認して・・・・、と同時に、
あるときは思い切ってやってみる、
これしかなさそうですね。


いつもありがとうございます。
  みんなが神の子:神の子クリシュナ☆(*^-^*)☆