これから、3つほど続けて、今生のこの現象界で「神の子状態」を想い出し、顕現する秘訣の核心と思える部分を、シェアーさせていただきますね。
26ページより
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【内なる光を呼び出す祈り】
神はわが御親(みおや)にましますのである。
神は光であり給う。
その光は物質の光ではなく、一切のものを内より照り輝かす光であり給うのである。
われは『神の子』である。
さればわが生命の内に神の光は宿り給う。
神の光はわれを照らし給い、また一切のものを照らし給う。
わが行くところ一切の暗黒は消え、光明のみが輝くのである。
われはこの世界に神の光を与えるために生まれたのである。
神の光は、愛の光であり、智慧の光であり、平和の光であり、調和の光であり、歓びの光であり、癒しの光である。
われはこの世に神の愛をもたらし、神の智慧を与え、平和と調和を持ち来たし、悲しめる者に歓びを与え、病める者に癒しを与えんがために生まれたのである。
神はわれを『神の子』としてすべての人類に光を与えんがために、
この世にわれを遣わし給うたのである。
万人に光を与えることがわが使命なのである。
さればわれは、われに触れる者のことごとくに光を与えるのである。
この光は神より来たれる無尽燈であるから不滅の光であり、
いかなる闇も、いかなる反対もこの光を消すことはできないのである。
すべての人々に『神の光』は宿り給う。
単にわれのみに『神の光』が宿っているのではないのである。
それはある宗派では内在の「仏性」と呼び、ある宗教では内在の「キリスト」と称するのである。
ただ光のみが光を知り、光を呼び出すことができるのである。
われは今、自分が『神の子』として自己の内に『神の光』が宿り給うことを自覚したのである。
光はそれを自覚せる者の心の中に照り輝くのである。
自己が自己に宿る光を照り輝かして、相手の人々を観れば、
類は類を呼び出し、光は光を点じて、相手の人々から『神の光』が呼び出されてくるのである。
すべての人々から『神の光』が呼び出されてくれば、
地上に平和は来たり、世界は天国浄土となるのである。
わが来たれるはこの世を天国浄土たらしめんがためなのである。
真に誠に、われは『神の子』である。
わが内に『神の光』は宿り給い、わが光は全世界に照りわたるのである。
光の照るところ闇なく、病なく、悲しみなく、苦しみなく、不調和なく、争いなく、
すべての人々相互いに睦み合い、尊敬し礼拝し合い、この世の天国浄土が実現するのである。
われは今、『神の子』なることを一層深く自覚し、その自覚の深まるに従って、わが魂の高揚を感ずるのである。
わが魂の高揚するにつれて、わが『内なる光』はいよいよその輝きを増し、全世界を照らすことができるのである。
多くの人々、わが『内なる光』に照らし出されて、
各人の『仏性』すなわち『内在のキリスト』の光をあらわし、唯一なる神をほめ讃う。
ああ ありがたきかな。神なる親様に感謝し奉る。
(「聖経 真理の吟唱」谷口雅春著より)
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〔クリシュナ☆注〕
※1「仏陀」・・・・真我(アートマンないしプルシャ)到達者。
※2「仏性」・・・・ここでは、「真我」と「神我(神我キリスト)」とを含めた意味で用いられているようですね。
※3「内在のキリスト」・・・・イエスさん個人のことではなくて、宇宙創生なさった「神我キリスト」さんのことであり、わたしたちの「内なる父なる母なる主なる神さま」のことであり、「最高神クリシュナ」とも呼ばれる非人格神さんのことでもあり、私たちの本質である「真我」たちの親さまでもあります。
※4「イエス・キリスト」・・・・「神我キリスト」に到達なさったイエスさん、という意味。
イエスさんの口から語られる言葉には、注意深く観察なさるなら、
①イエスさんの口を通して神我キリストさんが語られる言葉と、
②イエスさん個人として語られる言葉と、
2種類の言葉があることがわかりますね。
いつもありがとうございます。
みんなが神の子:神の子クリシュナ☆(*^-^*)☆