昨日から読み進めている本の一節をシェアーさせていただきますね。
16ページから
∞⇔∞⇔∞⇔∞⇔∞⇔∞⇔∞⇔∞⇔∞⇔∞⇔∞
【神の光を受ける祈り】
私の魂の内には永遠に消えない光が宿っているのである。
それは神から来たれる光である。
いかなる暗黒なる時にも、その光に照らされて進んで行けば、
私たちは決して道に迷うことはないのである。
その光は愛の光である。智慧の光である。生命の光である。
愛が輝き出すときすべての憎しみは消えるのである。
智慧が輝き出すとき迷いが消えるのである。
生命(いのち)が輝き出すとき疲労が消え、老衰が消え、病気が消え、死が消えるのである。
神の愛の光が私の内に輝き出すとき 「自」と「他」との障壁が消える。
利益の奪い合いがなくなり、怒り憎しみは赦しと変じ、さらに相手を祝福することが可能となるのである。
私は常に心の窓を開いて 神の愛の光を今受けるのである。
だから私の全存在には 神の愛の光が照り渡っているのである。
神の智慧の光が私の内に輝き出すとき、
人間が物質的存在だと見えなくなり、霊的存在だということが悟られて来、
物質的欲望が少なくなり、霊的愛他的な行いに導かれて行き、生活が浄められるのである。
すでに神の生命の光が 私の内に輝き出したのである。
わが全身は生命力にみちあふれ、老いなく、病なく、疲労なく、
溌剌として人類の共通的歓喜のために尽くすことができるようになっているのである。
神の愛の光も、智慧の光も、生命の光も、無限であるから、
それは輝かせば輝かすほど与えれば与えるほど、光輝燦然としてその光と力とを増すのであるから、私は愛を人に与えることを惜しまないのである。
智慧を与えることを惜しまないのである。生命を与えることを惜しまないのである。
人は神の子であり霊である。
霊であることがわかると、自と他とが一体であり、彼と我とが一体であり、超焉として自他を超え、彼我を超え、私の愛憎を超えて、全体の栄のために尽くすようになるのである。
全体の栄のために自己を挺身するとき、一粒の麦が姿を没して大地に身をまかすとき、多くの新しき芽を分蘖して、多くの実を結ぶことができると同様になるのである。
私はもはや、肉体的存在でないことをさとったのである。
私は「個」にして「全」、「全」にして「個」である。
個性を完全に発揮する喜びを味わいつつ、
しかも全体の栄のために身を挺して そこに何等の矛盾もないのである。
(「聖経 真理の吟唱」谷口雅春著より)
∞⇔∞⇔∞⇔∞⇔∞⇔∞⇔∞⇔∞⇔∞⇔∞⇔∞
特に解説を必要としないステキな内容ですよね。
いつもありがとうございます。
みんなが神の子:神の子クリシュナ☆(*^-^*)☆