あけましておめでとうございますオレ。

文章を書き綴る読み聞かせる相手が自分自身であるので自分に。

おめでとうございます。


さて。

ブログを放置。


なぜにこんなに時間を置いたのか、はたまた寝かせて熟成させる必要のある噺があったのか。


正月太りを解消しようと出掛けたスカッシュコートで。


いつも通り受け付けのおばちゃんは、私の風貌を見て怪訝な顔で出迎えてくれた。何度も顔を見てるはずなのにである。もしかするとあの怪訝な顔があのおばちゃんのノーマルでニュートラルな顔なのかもしれないが。とすると、ラケットを渡すのを忘れて慌てて呼び止めるアレも、サインにフルネームを書いているのにフルネームでお願いしますとしつこく言うアレも、人がいるのに気付かずいつも空を見て口からエクトプラズムを噴霧しているアレも、至極ノーマルでニュートラルなのである。仕方ないので私も毎度同じリアクションを慣例化し、おばちゃんのトランスニュートラルに合わせるのである。


「お約束」のあと、コートに入るといつも通りの「お約束」ストレッチをする。

冷えたコートに腰を据え、足を豪快に開く。

まずは前面から。 おいっちにー。 

以前は恐ろしいほどに体が固く、地面と頭の間にはおよそ一メートルほどの開きがあったのだが、今ではこのお約束のおかげで地面から10cmのところまで体が曲がるほど柔らかくなった。

「お約束」のおかげで柔らかくなったのはいいのだが、私だけであろうか、あの我が睾丸が自ら顔面に接近してくる感覚は、未だに気色のよいものではない。もちろん裸でやるわけではない。創造力の賜物。

この感覚を味わった後は、スカッシュボールもそれに見えてくる。なんだかイヤだ。睾丸が「キュン」と体内シェルターに逃げ込んだ。

気色の悪いお約束ストレッチも終わり、ラケットと黒い睾丸のようなボールを手に取る。


3メートルほどあるスカッシュコートの天井を突くかのように、高く高くボールを放る。

落ちてくるボールを絶妙のタイミングでラケットで叩く瞬間が、好きだ。 

あの瞬間、刃物のような突き抜ける晴天が、頭の中に広がるドーパミン。

嗚呼、たまらない。

幸福とも地獄と言えない得体の知れない快感、この一点に集中するのだ。

さあ落ちてこい、お前のような黒いハートを持った、忌々しい睾丸には、正義の制裁を喰らわせてやるしかないのだ。 

狂気のような興奮に手に汗がにじんできた。

驚くほどスロウモーションでこいつは落ちてきた。

ジムの中にいる他多数の利用者も息を呑む。睾丸に吸い込まれるナイロンの網、生きているかの様に空気を切る。


そしてその瞬間、本当にそのラケットは空気を切り、汗で滲んだ私の手から離れ、前に飛ぶならまだしも後方へと飛んでいき、全面ガラスをブチ破り、外にあった植木を倒して、私は瞬時に昏倒、スカッシュボールは短パンの横に転がりどす黒い悪魔はまるでトリオのようなカッコになったところで、多数のギャラリーそして受け付けのオバチャンまでもが駆けつけ、即時に昏倒、私は仕方がないのでとっさに頭を地面に叩きつけ、噴水のような血を脳天から流し被害者に変身、二日目からずっと精神科に検査入院、そして先ほど帰宅、今に至る。

正月早々災難であった。

おめでとうございます。

好みとは勝手に自我に目覚めるものではない。懐かしさとも言えるような記憶の中に求める欲求である。

元からそこにある自我などない、懐かしさを求めない人間なんかいない。

私の友達のお嫁さんはみんなその友達たちの母親を思い出すような人であった。少なくとも幸せに育てられた経験のある友達は。

人は未知なものにすごく惹かれるものであるけど、未知に惹かれる希望に満たされたという記憶に惹かれているだけだ。


何が言いたいかというと要は経験なのです。

バーチャルじゃない、経験値。

知識や理屈じゃないのです。

やったもん勝ち。

言語化できなくても、経験で身に付いたことは、素晴らしいのだ。

経験しようぜ。

だからオレは差別しないぜ。差別するのはバーチャルな知ったかぶりの糞野郎だ。

実態社会なんて言葉笑せるぜ。

じゃあ実態じゃない社会ってなんなんでしょうか!!


ナメンナ。アホンだら。

習慣、いや肉体と脳の構造とは、素晴らしくよくできたもので、「明日の用事は昼過ぎだ。女の子に会いにもいかず、酒を飲みにも行かず、本を読み、筋トレをし、経済的にも肉体的にも素晴らしい夜更かしをし、昼間いっぱい寝てやろう、いつもお疲れ様オレ様そんな清らかな気持ちで出かけよう」と昨夜はそれを誇らしく唱え、そして夜更かしまではうまく云ったのだがいつも通りの起床時間にパッチリと、瞼をひっくり返して、目覚めてしまった。それでも、二度寝の方が疲れが取れる、という迷信かもしれぬ言葉を信じ、また布団に潜るのだが、平日のストレスフル起床スイッチもオンな割に、休日のハイテンションスイッチもオンに入ってるらしく、まったく寝付けない。仕方がないので、飯を食うことにする。腹の皮を張らせ、目の皮緩むという言葉があるではないか。

食った。

どうやら迷信らしい。ブラインドから差し込む朝の轟光と朝飯が見事なコラボレーションを果たし、脳は朝からフルスロットル、軽自動車のエンジンの如く頼りなくも軽は軽なりに頭の回転がレッドゾーンに入り、朝から手持無沙汰で目の玉をグルんグルん言わせているのである。


仕方がないのでこのモノと服と埃に塗れた部屋の大掃除、そして模様替えをすることにした。日差しの中見えた部屋は、まるで内戦中の途上国の如し、悲惨な光景に見える。


いつも思うのだが、物理的な掃除は心の掃除にもなる。

モヤモヤイライラブルブルアホンダラアホンダラ状態になると、運動か掃除をして物理的な行動を起すと必ず心はスッキリしている。

決めた。

転換期にはやはり、こういう様式的行動が必要なのだし。この間、髪切ったし。しかも終わったら疲れて寝れるべ。

このゴミのようなものの中から更にゴミを選りすぐって捨てまくって新しいライフスタイルを作ろう。今日が新しい私の誕生日だ。バァブゥ!



こうして見ると、私の部屋は、いるようないらないような大量のものに溢れている。コンセプトはあるようでないようで、ただいつもいる場所から便利な位置にリモコンがあり、雑誌があり、文庫本があり、ダンベルがあり、タイコがあり、ギターがあり、座ることが目的なはずのソファーには、バスタオルと昨日脱いだ服と、明々後日ぐらいまで分のパジャマが乗っていて、ここまで来ると利便を求めたのか、それらのモノたちが勝手に意思を持って私の生活の邪魔をしているのかもはやわからない。唯一隔離したパソコンデスクの周りには、一週間分ぐらいの大量のビールの空き缶が散乱している。きっと私のコンセプトは「近未来―自然を破壊し、利便性を追求した人間たちが自分たちの生み出したモノによって滅亡させられる」か、「後期資本主義の爪痕」「宇宙人はホントにいる」「酒止めますか、それとも人間止めますか」等々

そんなところであったのだろう。


よっしゃ。やってやる。

とりあえずコンセプトが大事だ。


今回のテーマは、「空虚の中から生み出でる芸術」かなんかにしてあっさりキレイにしてしまおう。

でも捨てるところが問題だ。ゴミ収集車が芸術的タイムリーでうちを訪ねて来るなんてことはないのだから、そこから考えねばいけない。もしくは、家の隣が湖を破壊し埋め立てた巨大な最終処分場であったらいいのに。でもきっと臭くて堪らないのでそれはいやだ。

・・・・・・・・・・・


あ、ごめんこれ却下。捨てるの無理。クダラナイ妄想なんかしてると一日が終わってしまう。




数か月振りに窓を開けて自然の光でお部屋を光合成させてあげると、気になる気になる、埃やなんの毛かわからぬ毛たちに、隙間にある服のタグに、文庫本のしおりに、ギターのピックに、溶けたDHCのサプリメントに等々等々。撃沈。意気消沈。


コンセプトが大事だ。よし、音楽を聴こう。そこからのイメージだ。いつだって人生にはサウンドトラックが必要なのだ。

・・・・・・・・・

ヤバい。


初期のnapalm deathは恐ろしく尖っている。荒々しくも、純粋な憎悪の血流を感じるのだ。

イングリッシュパンクの源流にエクストリームなメタルスパイスをぶち込む激マニアックかつ簡素な潔さ。

今も私の心を震わせてくれる。

子供の自分、年を重ねるともっと優しい音楽やクラシックなどに芸術を見いだせると無意識に思っていた。それを私は大人と呼んでいた。

大人になれば、ネクタイをし、キレイなお嫁さんに見送られ、出勤をすればお偉い方々と能や絵画について語っていると。ついでに息子か娘が経済産業省あたりに就職してくれるとありがたい。

・・・・・・・話がそれた。

どうやらこの反攻という名のパンク初期衝動は、ずっと忘れないらしい。

いいじゃないか。

年がなんだ!brutalだ!パンクだ!アンチソサエティだ!政治も社会も糞喰らえ!よっしゃ。滅茶苦茶にしてやるぜ!


・・・・・・・・・・・


ダメだ。音楽は止めた。

部屋が昔のグラインドコアのアナログのジャケットのコラージュみたいなグロテスクなものになってしまう。


仕方がないのでビールを持ってきた。ほろ酔いの軽い朦朧は時に素晴らしい芸術を生み出すことがある。酒の効用だ。


500の缶を飲み干す間、手持無沙汰で何をしてよいかわからないのでとりあえずインターネットで気になる事柄を調べたり買い物を始める。楽天amazonヤフオクebayゾゾタウン、と軽快にサーフィンする内に、欲しいものがことごとくsold outの表示である。イライラ。

でも、今日世界をつなぐインターネットである。どこかにそれらはあるはずだ、とyahoo america,yahoo UK,グーグル、雨風呂、ミクシィ、hisの旅ブログ、世界の夜の遊び事情、等々とまた軽快にサーフィンというよりは、情報という地獄でもがく餓鬼の如し、軽自動車エンジンをフルアクセルで吹かし、世界の奥底まで探してやるぜ!と、このエネルギー絶対何かに使えばこの人成功するんじゃないか?的な、でもわかっていても止められない、という原始時代からの諺通り、気づくとトウに500のアサヒスーパードライは飲み干し、今度は逆に、ネットするために手持無沙汰で仕方がないので次次ビールのプルタブを引き裂き、気づけば何本もの缶が床に転がり、気づくとデジャブのように便所と冷蔵庫とパソコンを何度も行き来し、結局その便所のドアで指を挟み、もがいて見上げた時計の時間が、バッチリ私の遅刻当確を知らせてくれたのである。





人生って要約すると、こんな日常がその縮図になってたりする。


だからいつかやってやる!って言いながらケツを掻きながらお菓子を頬張りテレビを見てる奴はいつになっても大成しないのである。



早起きは三文の得などという言葉はまったくフレキシブルではない、とうことは証明できた。

証明できたことをお得と考えると、やはり早起きは得か。

いい加減クダラナイブログを更新せずにはやく支度をして、絶妙巧みな言い訳を考えながら走るのが正解なのはわかるのだが。


如何せんこれが私なのです。

生まれてすみません。

soundtracks for the last days.





uniform for the battle



so,whats happening?

本当に美しいものとは。


知識を持たずに見る世界遺産や、バックグランドを知らずに出会う素晴らしいと言われているキテレツな絵画や、装飾された近代的な街や、少ない労力で高収入を生み出すスマートな生き方や、流行や、相場や......................


全て情報ありきの価値じゃないか。

誰かが生み出して、価値がある、と言って、作られた、作り物ではないか。


ゼロの状態で始まる、幼い時はずっとそういうものに惹かれてずっと足し算のようなことをして生きてきたんだけど、何年も心が震えるような感動に、心が震えるような美しきものに出会ってないことに気付いた。

もしかすると今までそんな経験もなかったのかもしれない。お金と物欲と性欲に塗れて、それが生きる正義である、と思わされて生きてきたのかもしれない。


自分が生きるためにどうしても必要だったもの、ってなんだ?


美人ではないが、いつも笑ってる、でも内向的な、かつての自分。 

洗練も装飾もされてない、ありのままの生きている、美しい姿。


ただどうしても、必要とされて、そこにいる。いた。渇望した。


今まで「かつての自分」に対してやってきたことは、自分のためなのか、「かつての自分」のためなのか、今はもうよくわからない。


心に穴を空けて、その穴を埋める生活が始まりました。


違う形でこれからは接しますが、いつまでも最高に美しい存在で、愛しい存在で。


素晴らしい日々を、今までありがとうございました。

見失った。 


人生に於いて、現実を知ったということなのか、今までの自己中心的で楽観的な態度で接してきた、こんな自分に対する、社会からの返答か。

こんなこと言えるなんてなんだか幸せじゃないか。とも思うけど。


おそらく、客観的には、私は道楽者である。 


好きなことを、好きなようにやり、自分本意ではなかったが、親族で在ったり、ご先祖様の御功労に依る人徳であったり経済的余裕であったり、ある意味他者から与えられた、喜劇のような悲劇のような、振り子の幅の大きい、(客観的には)幸せな、とある家系の(人間、動物種の本能である、子孫繁栄の)引き継ぎ役を、今日everyday life,やっている。


おしゃべりchat boxで、でも、絶望するほどの内向的な自分。 目立ちたがりで、でも、どうしようもないほど人目に触れられたくない自分。 社会的立場を当たり前のように尊重しているのに、それをときどき全面拒否する自分。精神逃避か? 我が親族家族を人生の師匠と尊敬し、でもその中のどうしもうもない矛盾に毎日、葛藤する自分。資本主義、グローバリゼイションを否定しつつ、でも、どっぷり浸かっている自分。 どうかこのような状況は他力本願、勝手にフェードアウトしてくれ、と、神棚に手を合わせてみたけど、多聞、どうにもなんねぇ~な。

など、無数のダブルバインドの渦中に(一般的に、道楽者のクダラナイ悩みと思われるかもしれないが)存在する


自分。



現代の知識人の中では相当ダサい、マジか?うっそ~ん的な言葉として名高い、自分探し。なんて言ってしまうと、自分自身で、寒々とした現代日本社会の中でさらに疎外的なエクストリーミィ極寒に曝されてしまうので、内なる他者との出会い、などとカッコつけて言ってみます。が。


投稿BGMはbiohazardのpunishment。 そしてこの流れで次は同じくbiohazardのshades of grey。


私は。


楽観視してきた自分に対する、躾を行う時期にいるのだ。


脳内交通整理。



そして。 人生や、人としての生き方に対する答えなどないのだが、おそらく数学や科学、数値化などの概念の無い世界では常識であった、グレーゾーンの中にある、答え、らしきものを探すために、日々の思想整理、そして過去の自分を言語化していきます。


ようこそ、ハポンへ!ようこそ現代社会、後期資本主義社会へ! ようこそ,どうしようもない、クダラナイ堕落した素晴らしき世界へ!


私が言葉を発するのではない。言語化した、自分。 が自分?


では、ちょっと、言語化してみますか。


堕ちて気づく、堕落せよ、という言葉の重さ。


偉大なる先人達、の言葉。


我々は、何故生きるのか。


内なる他者。内なる自分。にコミュニケートするために、エンターテインするために、我が日常を記録します。