クリストファー•ノーラン(映画「オッペンハイマー」) | 内田也子のブログ

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歴史に「もし」は無いけれど

オッペンハイマーが学生時代、感情的な問題や孤独感の高まりによってうつ状態が深刻化していて、精神の不安定から確執のあった教授をリンゴで毒殺しようとした、というエピソードがあったけれど、「もし」この時彼が犯罪者として拘束されたなら、20万人の命は助かったのだろうか?

と、思ったりしました。


一人の殺害は殺人者として罰せられ

20万人の殺人は、戦争では英雄と称えられる


これは、チャップリンの映画でも指摘していたことですが。





「オッペンハイマー」


監督 クリストファー•ノーラン

2023年 アメリカ 180分 R15+


2006年、ピューリッツァー賞を受賞したカイ•バードとマーティン•J•シャーウィンによるノンフィクション「原爆の父」と呼ばれた男の栄光と悲劇を下敷きに、オッペンハイマーの栄光と挫折、苦悩と葛藤を描く。



(1904年〜1967年)

オッペンハイマーは、ユダヤ系のアメリカ人で、ブラックホールの存在を初めて提唱し、のちに原子爆弾の開発に成功したことで「原爆の父」と呼ばれた物理学者。


1942年、オッペンハイマーは「マンハッタン計画」の最高責任者である陸軍のレズリー•グローヴスから、原子爆弾開発に関する極秘プロジェクトへの参加を打診される。


この前年、アメリカは第二次世界大戦に参戦。

ナチスドイツによる原子爆弾の開発が、もはや時間の問題だと見られていたのだ。


オッペンハイマーは参加を快諾し、優秀な科学者たちを全米から招聘。ニューメキシコ州にロスアラモス研究所を建設して、彼らを家族ごと移住させた。それは国家の存亡をかけた核開発の始まりだった。


1945年ナチスの降伏後、1945年7月に行った「トリニティ実験」で成功を収め、8月に広島、長崎へ実際に原爆が投下される。


ギリシャ語、ラテン語、フランス語、ドイツ語、オランダ語を話せたと言われるオッペンハイマーはヒンドゥー教の経典である「バガヴァッド•ギーダー」を原語で読むためサンスクリット語も学ぶが「我は死神なり、世界の破壊者なり」を引用し、深く苦悩するようになる。


そして、戦後アメリカ政府はさらなる威力を持つ水爆の開発を推進して行くのだが、オッペンハイマーは核戦争の加速を懸念し、水爆開発に反対の姿勢をとったことで次第に追い詰められてゆく。


1950年代、赤狩りの嵐の中、彼の人生は大きく変わっていくのだった。(PFより抜粋)




物理学者としては天才的だったオッペンハイマーですが政治的な争いには向いていなかったようで、「ただ立ち去ればいい」とアインシュタインは進言したようです。


しかし、彼は身動きが取れなくなってしまうのです。



オッペンハイマーが物理学者として自らの研究の成功に満足するだけのタイプの人間ならば、この物語は成立しないと思いました。


科学者としての責任の呵責に揺れ動くからこそ、これからの世の中へ繋がって行くのだと思いました。


日清戦争、日露戦争、真珠湾攻撃、

日本の勝利に日本人は歓喜したのではないでしょうか?相手国の苦しみをどのように感じていたのでしょう?


「もし」日本が原子爆弾を最初に開発出来たとしたら、確実に日本はそれを使っていたと思うのです。戦争とは勝つか負けるかの命がけの勝負であり、狂気ですから。


それを与えられてしまったオッペンハイマーの人生。客観的にとても正直に作られた映画であると思いました。

そして、それは「今」でよかった。


「いまに、わかる」


オッペンハイマーの言葉。

それを作っていくのは、今の私たちなんですよね。



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