内田祥文のKeep Hope Alive♪ -708ページ目

ポスター

$Keep Hope Alive♪-事務所扉

昨日に引き続き野球のことを書こうと思います。

写真は我が社の事務所の扉です。

埼玉西武ライオンズのお膝元ということもあり、個人的に去年西武ドームで
結婚式を挙げたということもあり、ライオンズとは何かと縁があります。

会社が所沢市にあるので、「西武ライオンズ」から「埼玉西武ライオンズ」に
なったときはやはりとても親近感が湧きました。
これは地元企業はみんなそうなんじゃないでしょうか。

貼ってあるポスターは営業の方が送ってきてくれまして、一番目立つ所に
貼ってあります。

ちょうど松坂がボストンレッドソックスに行く前後あたりから、西武は
ファン獲得のために営業に力を入れ始めたと思います。
それは球場に行くとよ~く分かります。

かつてはグッズショップぐらいしか店舗は無かったのですが、今は飲食を
含めゲームコーナーなどファンを飽きさせない数多くの店舗があります。

それは西武に限らず、他の球団も力を入れていますね。
特にパ・リーグの球場はどこも楽しいです。

僕も小さい頃から西武線沿線に住んでいたので、地元球団ということで
馴染み深かったし、ファンクラブにも入っていました(今も入っていますが)。

今年は優勝候補に挙げられながら、今日現在最下位ということで何とも
盛り上がりに欠けるのですが、何とか盛り返して欲しいと思っています。

ちなみに一番好きなチームは、実は阪神タイガースなのです。
今の真弓監督が現役の時から好きで、現役時代の背番号が「7」だったから、
僕もことあるごとに「7」を選んでいます。
この話は長くなるのでまた折をみてにしましょう。









日本野球発祥の地

$Keep Hope Alive♪-野球発祥の地


当ブログがスタートしてから早くも半月になります。

話題をカテゴリー分けしとこうと思い、いくつかのカテゴリーを用意しました。
その中のひとつに【野球】があります。
実はまだ野球のことは書いていなかったんですよね。
ということでせっかくですから、その1発目は「日本野球発祥の地」にしました。

今日は都内3ヶ所に納品がありまして、たまたまこの場所の前を通ったので
写真を撮って来ました。
神田は神保町のオフィス街にあるので分かりにくいかも知れません。

野球好きの人でも知らない人は多いと思います。
知る人ぞ知る、でしょう。

野球のこともこれからたくさん書いていくことになると思います。
そのひとつ目にふさわしい記念碑だと思います。


暑いですね~

いやいや、毎日毎日暑いですね~。

梅雨明けしてから、いや、梅雨明けする前からも夏日が続いて
去年と変わらず厳しい暑さです。

誰かが「今年の夏は冷夏」といってましたが、いったいどこが
冷夏なんだ!と言ってやりたいです。

ちなみに会社の事務所はほとんどクーラーを入れていません。
扇風機が頑張っていますが、それでも事務処理等の仕事では、
腕がベトついちゃって不快ですよね。

そのことを先日いとこの哲也くんに話したら驚いていました。
保険屋が来た時も「節電ですか?」って聞かれたしなぁ・・・。

事務所などのオフィスでクーラーをつけないというのは、
常識外なのかも知れませんね。

けど、1日のうち、1時間か2時間ぐらいはつけたりしてます。
今日もさすがに我慢出来なくてつけました。

運転してる車も窓全開にして基本的にはクーラーは入れませんね。
同乗者がいる時はさすがに入れますが、ひとりの時は昔からつけません。

これだけ外が暑いと温度差で体がやられちゃう気がするのと、
汗をかいていた方がいいかなぁ~と思っているからです。

けれども去年今年とこれだけ暑いと、さすがに体がバテ気味で、
40才も近くなるとバテやすくなっちゃうのかなぁ?とか、
いや、やっぱり異常に暑いからだ、などと思ってみたり・・・。

弟と昼飯を食べていた時に「おぃ、ちょっと雨を降らせろ」って
言ったんですよ、そしたら、
「疲れるからしゃべらないで食え」って言われました(苦笑)

おととしまでは夏が好きだったんですけどね~。
妙な開放感があるじゃないですか、夏って。
特に20代の頃なんかは、夏はひとりで居てはいけないと思ってました。
誰でもいいから、この一瞬の夏を思う存分楽しまなければという
思いがありましたよね。

けどさすがにこれだけ暑いと、早く秋が来ないかなぁ~って思ってしまいます。

自分に合った【猛暑との付き合い方】というのを、そろそろ本気で
考えないといけないのかも知れませんね。

毎年毎年こんな暑いんじゃたまりませんよ、ホントに。










「いちえ」

$Keep Hope Alive♪-いちえ

先日ご紹介した西麻布「TORI+SALON」のオーナーが来社。
まぁ、いとこ姉さんがうちに来たっていうことなんですけどね。

経理をみてもらっている会計事務所が同じなのです。

お店の決算が今月ということで、担当者とその上司といとこ姉さんとで
決算の報告等をうちの応接間でやっていましたね。

その会計事務所には月に1度経理を見てもらっています。
うちの会社も今月みてもらう日が今日でして、うちの担当者がいつも通り来ていました。
ということで今日は会計事務所の人が合計3人うちの会社に来ていたことになります。

仕事が終わってからは、東所沢の「いちえ」さんで一杯。
この流れは恒例です。

この「いちえ」さんは、なかなか小洒落た雰囲気のお店でしてね、
料理も美味しいし、お酒もこだわっています。
死んだ親父がよく通っていたお店なのです。

僕の好きなのは“いちえサラダ”と“スパイシーチキン”で定番です。
今日は初めて“とんこつラーメン”と“冷麺”も食べました。
人数が多いとね、いろいろと食べられていいですよね。

今日は暑かったからビールが美味そうだったなぁ~。
僕は車だったから残念ながら飲めませんでしたけど・・・。


「いちえ」さんのホームページはこちら




あれから4ヶ月

$Keep Hope Alive♪-被災地


ゴールデンウイークの頭に宮城に行ったことを書こうと思います。

実際に見た被災地は、正直なところ言葉にならないものです。
少なくとも僕にとって、あの状況は言葉でどうこう説明できるような
ものじゃなかったです。

行く途中に感じたこと、行ってみて感じたことをつれづれに
書きたいと思います。

そもそも何で行きたくなったのかですが、
それは歌を唄ったり、こうやって文章を書いたりしている表現者として
実際に見てどう感じるのかということと、経営者として何を思うのか、
それが今後の自分にとってどう影響してくるのか、ということを肌で
直接感じたいというのがありました。

思い立ったその週末(ゴールデンウイークの前の週末)に行こうと
思いましたが、
「何か他のこと(観光など)と一緒なら行く」という奥方の発言を尊重し、
楽天の観戦を組み込みました。
だから野球観戦はあくまでもオマケです。

ボランティアという方法もありましたが、いろいろ調べたところ、
ゴールデンウイークということもあり、個人一般の受け入れは中止で、
物資の持ち込みも大口以外は受け付けられないとのことで断念しました。

行くことそのものが迷惑(例えば渋滞の原因)になるのが一番心配でしたが、
ゴールデンウイークの2日目に出たので東北道も空いてたし、現地に入っても
渋滞らしいものはなく、予定よりスムーズにいきました。

東北道では、福島の郡山を過ぎたあたりから道の破損を感じましたよね。
緊急補修のつぎはぎがあり、それが多少の段差になっているので運転していると
よくわかります。
これは宮城に入ると、つぎはぎが多くなり、更にガードレールが傾いていたりして
地震の爪あとをまず感じました。

東北道がいち早く復旧したのは、ここが東北にとって生命線だからですね。
新幹線はダメだし、国道や県道じゃ時間かかるから、東北道の復旧を急いだのも
分かります。

宮城に入って海沿いの高速、仙台南部有料道路から東部有料道路に入り、
松島方面に向かって走りました。

高速沿いの一面の畑に津波の痕跡が広がり、車がひっくり返ってたりして
津波の凄さを最初に感じたのはここでした。

予定よりスムーズにいったので松島に行くことにしました。
松島は点々とする島々が防波堤の役割をしてくれて大きな被害をまぬがれたんですね。
遊覧船も僕たちが行った前日から再開、地元の飲食店やお土産屋さんも元気に
オープンしていました。ただ、所々閉店したり、深い傷を負ってしまったお店もありました。

ここで少し遅めのお昼にしました。

注文してすぐに地震があったんです。
これは東京で感じるものとは違いました。
目の前は海だし、津波の恐れもあるし、着いた途端に恐怖心が・・・。
結果的にこれは余震でしたけど、これは怖かったです。

松島では遊覧船には乗りませんでしたが、国宝の瑞巌寺を拝観。
本堂は大改装中で見れませんでしたが、その代わり350年間開帳されなかったという
本尊と伊達政宗の位牌を特別展で見ることが出来ました。
これはラッキーでしたね。

その後、ここでお土産を買いました。
その中の1軒のお店の店長さんかなぁ、家族でやってると思うんですけど、震災当初の
写真をレジに何枚か貼っていて、その時のことを説明してくれました。
ヘドロが一番ヤバかったと話してましたね。

その話っぷりが凄い明るいんですよ。
「もう対処の仕方が分かったから次来ても大丈夫だね、なんてみんなで話してるんですよ」

次来てもって・・・。
次来たらマズイでしょと思いつつも、彼らの強さというか逞しさを感じました。

松島を後にして運転してる時にその若い店長の彼の姿や言葉が胸に響きましてね、
彼に会えただけで来た甲斐あったなと思いましたよ。
ひとりだったら泣いてたと思う。
隣りに奥方がいたから遠慮してこらえてしまったけど、いま書いてて思い出しても
泣きそうですもんね。

芸能人とかが避難所行って逆に元気をもらったって言ったりしてるじゃないですか、
アレ、本当だと思いますよ。
僕は彼から元気をもらいましたし、人間のもつ逞しさをみた気がしました。

それから石巻に向かいました。
石巻は中村雅俊のふるさとってことで知ってましたが、まさかこんな形で来るとは
思いもしなかったです。

幹線道路から住宅街の中に入ってみました。

車が通れる分だけの道はあるのですが、あとはほぼ壊滅状態の町。
人もほとんどいなくて不気味な静寂に包まれていました。
アクセルはほとんど踏まずゆっくりでしたが運転してて怖かったです。
ここに入っちゃいけないんじゃないか、長くいちゃいけないんじゃないか、
両サイドから瓦礫が襲いかかって来るような雰囲気。
学校と体育館が見えて「避難所かな?」と思ってみたら、完全にやられてました。
自衛隊の人たちが1軒1軒チェックした【スミ】と【アリ】という印がまた
痛々しかったです。

それからまた移動して、だだっ広い畑と川を隔てた住宅街に。
道路が破損していて簡易的な橋がかけられていました。
交差点脇に車を停めて降りました。
今日の写真がここです。

持って来たお線香をここでたきました。
せめて線香だけでもと思い、両手を合わせました。

本当に立ち尽くすしか無かったです。
言葉も出ません。

住宅街をほんのちょっとだけ歩きました。
大きい船が傾き、運送会社の4トントラックは変形してました。

写真も何枚か撮ったのですが、帰ってから見てみると現場で見たものと写真が
違い過ぎてしまって・・・。
伝わりきらないと思うので、冒頭の写真のみにしました。

ここで日が暮れてしまったから仙台市内の宿に向かいました。

次の日の野球観戦での現実、少し離れた海沿いのところでの現実。
両方とも日常生活のひとコマ。
この現実のギャップに違和感を感じずにはいられませんでした。

ギャップといえば、被災地とのギャップがありすぎるのは永田町だなぁと思いました。
日本全体に政治に対する非難、批評が渦巻いていますが、あの現実を見ると政府の
対応に怒りを覚えます。

どうにかならんもんかなぁ・・・。



以上、風景の描写ばかりになってしまいましたが、こういう形でしか・・・。
文章力の無さ、表現力の無さを痛感します。

更に突っ込んで現地の様子を知りたい人は、誰かの現地レポを検索してみると
いいかも知れません。
プロのカメラマンが乗り込んで撮影したブログを見てみましたが、リアルな迫力が
ありましたから。
カメラマンとかルポライターとか記者とか、そういう人たちはどんどん現地入り
して自分なりの思いをまとめているでしょうからね。

あの震災から4ヶ月以上が過ぎて、少しずつ復旧、復興してきているようです。
TVでも4ヶ月後の今という形でどれだけ元に戻ったかを特集したりしてました。
それでも今度は瓦礫の処理など、次から次へと問題が出てくるのを感じずには
いられません。

ただ、僕が見た場所はしばらく時間がかかるんじゃないだろうかと感じました。
海が近いところだったし、今後住宅街として機能する土地なのかどうか、という点です。
政府の土地区分で危険地域みたいに指定されてしまったらもうダメですもんね。

何年か経ってまた行ってみたいです。
復活した町をこの目で確かめたいです。
松島の遊覧船にも乗りたいし・・・。

日常会話などでは、今書いたようなことをかいつまんで話したりしてます。
知り合いや友達に聞かれたら、可能であれば実際に行ってみるといいと話してます。
TVや新聞、雑誌などで見るものとはまた違ったものを感じると思うからです。

美味しい料理や買い物でお金を使ったりもいいと思います。
自然とそうなるんじゃないかなぁ。

今回行ってみて、自分自身の足元を強く見つめ直しました。
生きていること、生かされていることへの感謝。
今ある生活、暮らし、会社、仕事、趣味など自分を取り巻く環境。
守っていんだ!ということを強く思いました。